製紙企業に関連して木材の伐採、製材の分野にも日本から企業が参画している。王子製紙の社史によると、昭和18年暮から19年2月にかけて王子製紙傘下の高谷組(伐採=北海道)後藤組(製材=神戸)など72名がシンガポール、マライへ渡り、それぞれ伐採、製材に従事している。

伐採組はバハン州のチニー湖畔のクアラリビスの近くの森林で伐採し、筏でバハン川本流を下りマライ東海岸に出て昭南市西北部の製材所へ運んだ。しかし、伐採現場では雇った苦力の中には反日的行動に出る者もいて社員は危険を感じて護身用に刀を所持していた。さらに19年も終わり頃になると、敵機の襲来で海上輸送が困難になり、伐採は昭南島周辺の小島で行われるようになった。製材現場は昭南島のほか、北ボルネオ・ミリ油田開発のための港湾建設用製材のためラブハン島でも行われたが、20年3月、戦局の悪化で中止された。いずれにせよ、王子製紙の場合は他社に遅れること1年半だったため苦労が大きかった。