第25軍軍政監部は当初、昭南に司令部を置き、馬来(マレー半島)とスマトラを管轄した。しかし、18年2月「南方軍政総監部服務規定」の編成替えに伴い同年5月、第25軍軍政監部はスマトラのブキティンギに移転し、スマトラだけを管轄化に置いた。そして馬来地区の軍政は新設の馬来軍政監部によって行われたが、18年8月新しくクアラカンサに第29軍がもうけられ、軍政も同軍に移行したが、実質的には変化がなかった。

18年8月20日、日本政府はタイとの条約締結で馬来の北部4州(ケダ、プルリス、クランタン。トレンガヌ)をタイ政府に委譲した。委譲の表面的な理由は”この4州は1909年英国に委譲されるまでシャム(タイ)領であった”という歴史と伝統を尊重したということだが、一般には日本軍の馬来進攻時のタイの協力に対する報酬とみられていた。同年10月18日権限の委譲が行われ、翌日からこの4州はタイの統治下になり、日本軍は憲兵隊本部など重要施設を除いて撤退した。