その後パリットスロン事件の調査はオーストラリア戦争犯罪課のジェームズ・ゴドウイン大尉の手にゆだねられた。ゴドウイン大尉はニュージランド人だったが、戦時中英国軍海軍に入り、乗っていた商船がココス諸島沖で日本の巡洋艦に撃沈された。このあと日本軍の捕虜となり、ジャカルタ経由日本に送られた。この捕虜の時受けた虐待体験がゴドウイン大尉にあった。昭和24年8月までに彼は広範な文書、書類をチェック、西村中将を有罪にできる証拠を引きだそうとした。その結果24年9月、近衛歩兵第5連隊第2大隊付士官のフジタ・セイザブロウが事件に関与しているのではないかと突き止め、調べたところ、彼が捕虜を殺害した人物であることが判った。 ところが、彼の供述した殺害方法は先にハックニー中尉が供述したものとは異なっていた。調は2日間にわたって行われ3日目に宣誓と供述書の署名が行われる予定だったが、なぜかフジタはゴドウインの所へ出頭してこなかった。つまり署名のない供述書が残ってしまった。しかし、ラッキーなことにゴドウイン大尉は、フジタと前後してパリットスロンで西村師団長の幕両僚だった3人の士官の供述を得ることができた。ところが、この3人の供述は、ハックニー中尉のもとよく似ており、しかもあたかも情報源が一つであるかのようであった。