「遺骨を抱いて」 作詞 遼原 實 作曲 海軍軍楽隊(松井孝造)


一番乗りをやるんだと力んで死んだ戦友の 遺骨を抱いて今入る シンガポールの街の朝

男だなんで泣くものか 噛んでこらえた感激も 山から起こる萬歳に 思わず頬が濡れている

負けず嫌いの戦友のかたみの旗を取りだして 雨に汚れた寄せ書きを山の頂上に立ててやる

友よ見てくれあの凪いだ マラッカ海の十字星 夜を日についだ進撃に友と眺めたあの星を

シンガポールを陥しても まだ進撃はこれからだ 遺体を抱いて俺は征く護ってくれよ戦友よ


第25軍関係者の会「赤道会」編纂の「赤道標」、同じく戦友会編纂の「富みの歩み」の表表紙裏のページに、この「遺骨を抱いて」の歌詞がともに掲載されている。もの悲しいメロデイである。改めて、この歌詞を読むとシンガポール作戦に参加した当時の将兵たちの心情がこれほどよく吐露されているものはない。マレー上陸作戦以来、作戦参加の第5、第18、近衛の三師団は、たえず”一番乗り”を意識し”一番乗り”を目指して進撃していた。この三師団間の”一番乗り”意識が災いして近衛師団の悲運を呼んだのではないだろうかー。近衛師団はまず、出発点から遅れをとっている。開戦時の12月8日、第5師団はタイ領のシンゴラ、パタ二ー、タぺーから上陸、第18師団の侂美支隊もコタバルに敵前上陸し、シンガポールへ向けて南進を開始した。ところが、近衛師団がマレー半島に到着したのは、それより4日も後の12月12日である。そのときには、すでに第5師団は、最初の激戦地、ジットラ・ラインを突破していた。近衛師団が他の二師団と並んで作戦に参加できるようになったのは、昭和16年も押し迫ったカンパル作戦の終り頃からであった。