シンガポール一番乗りして青吊星を上げたのは第5師団市川大隊で、上陸作戦左翼を担い7席の舟艇に分乗して目標地点に向かった。目標地点は、独立樹と白壁の家のある狭い海岸で、それ以外は マングローブ林で、うっかり突っ込むと身動きが取れなくなる。「「水道中流あたりで正面の海岸一帯がパッと赤くなり銃弾が滝のように水道上を北に飛んだ。対岸の火は銃口火で数段に並びビル街の窓のよう。(中略)”飛込み用意!”ついに艇長の合図があり、大上中尉(第12中隊長)と私(機関銃第1小隊長)が同時二”飛込み用意”と命令した。(中略)上陸した独立樹の下で若い小隊長が私と話しているうちに死んだ。下士官も兵も多く死んだ。(中略)上陸成功の信号弾”緑三星”が0時18分打ち上げられた」(第5師団シンガポールへの進撃」から)

「いよいよ今夜夜陰に乗じて水道を隠密に渡河、戦闘司令所を対岸のシンガポール島に進めることになった。午後10時頃か、あたりは真っ暗である。ひそかに水際に出て舟艇に乗り移る。前方は何も見えぬが昼間によく見極めた方向に突き進む。一時間のたった随分長いと感じる。”どーん”と舟先が陸地にぶち当たる。やっと無事渡れたと舟から上に上がる。前の兵に離れないように続く。誰も無口。咳一つしない(中略)どのくらいたったのか、あたりがうっすら明るくなってきた。よく見ると,隣にいる兵隊の服も帽子も真っ黒だ。顔もところどころ黒くなっている。昨日眺めた油タンクの油煙が空高くひろがり昨夜の雨に混じって降ってきたのである。夜もすっかり明けた。ゴム林の中に家屋が三、四軒見える。ここが戦闘司令所になるのだ」(第25軍副官部 久保田義彦 「赤道標」より)