昭和17年1月31日、第25軍山下奉文総司令官は、各師団の作戦参謀、軍砲兵、防空、渡河作業の隊長を集めシンガポール総攻撃の準備を命じた。そして2月4日、ジョホール・バル北20キロのスクダイに戦闘司令所を設置、6日、シンガポール総攻撃が各師団に下達された。 命令の要点は(1)渡河作戦は第5師団を中央に右に第18師団、左に近衛師団を配置する(2)近衛師団は陽動作戦として7日夜、ジョホール水道東のウビン島へ一部兵力を上陸させる(3)第5、第18師団は8日24:00時を期して陸橋西側で渡河するーであった。

シンガポール総攻撃にジョホール・バルに集結した各部隊にとって、渡河決行までの一週間は体力回復のよい機会で、ゴム林の中で休養下。また、総攻撃のための弾薬、資材の集結にも必要な時間だった。

渡河作戦は彼我あい交え熾烈な戦闘であった。

「わが攻撃は猛烈にして、いんいんたる砲声が、石油タンクより吐く黒煙天にちゅうしてものすごし。夕刻、猛烈なるスコールあり、スコールすぎて再び砲戦開始せらる。敵の砲撃は戦闘司令所の東南海岸に集中するも、なんら損害なし。24時第一線は渡河。0時25分、第25師団の青吊星は渡河の成功を告ぐ。続いて第18師団の赤吊星上がり、快哉をさけぶ。(第25師団副官、鈴木大尉の日記)(吊星は合図の信号灯で、第5、近衛師団は青。第18師団は赤だった)