シンガポール島はマレー半島の最南端、ジョホール水道を隔てて位置する、東西43キロ、南北20キロの小島で、面積は淡路島ほどにすぎない。しかし、当時は真珠湾,ジブラルタル,マルタ島と並んで世界の四大要塞といわれ、英国にとっては東洋植民地経営の中枢であった。大東亜戦争勃発と同時にわが国は、南方戦線の勝敗を左右する要としてシンガポール占拠を最重要視として作戦を進めた。

戦争開始とともにマレー半島に上陸した第25軍の第5師団は英国軍の半島の最後の拠点、ジョホール州でも激しい戦闘を展開、大きな犠牲者を出した末、1月31日未明、州都ジョホール・バル入りした。一方、近衛師団はマレー西海岸沿いに進撃、マラッカを占領し、ムアル川を渡河して1月末、ジョホール・バルに到着した。

また、コタバルに敵前上陸した第18師団仛美支隊は、東海岸に沿って南進、クアンタン飛行場を占領後、クアラルンプール経由でクルアンへ向かった。第18師団の主力(牟田口廉也師団長)は、自動車500両を先頭に快進撃を続け31日午後、ジョホール・バルに到着した。マレー上陸作戦開始から55日で1,100キロの戦線を突破して英国軍の最後の砦、シンガポールを指呼にのぞむジョホール・バルに全軍参集した。

第25軍の記録によると、マレー半島戦線での英国軍の兵力はおよそ8万人、これに対して日本軍は3万5千人、双方での戦闘回数は95回、戦死者は英国軍(豪州軍を含む)約2万5千人、日本側は1,793人であった。