第25軍は第5師団についで近衛師団主力も英国軍追撃戦に入り、コタバル上陸あとマレー東海岸をクアンタンへ向けて進撃している第18師団仛美隊と強力な兵団となった。しかし、逃走しながらも英国軍は反撃を試み、各地で激戦となった。第5師団の河村部隊はぺラク河を渡った地点、カンパルで激しい砲撃を受け前進を止められた。前方には3千㍍から4千㍍級の山脈があり、英国軍は山の麓に砲撃陣地を築き、そこから大砲を撃ち込んで北。さらに日本軍にとって不利なのは麓一帯が湿地帯であったことだった。攻めれば攻めるだけ犠牲者がでるという状態で、昭和17年の正月を迎えようとしていた。このため第25軍司令部では、この膠着状態を打開するため奇策を講じた。それはマラッカ海峡沿いに船でもって兵員を送り、背面からカンパルの敵を襲おうというものだった。

シンゴラら陸路 苦労して運んできた上陸用舟艇40隻と現地調達の舟20隻に分乗した第5師団歩兵第11連隊などの兵士は12月31日、マレー半島西海岸のムルトを出発,メリンダムに上陸した。メリンダムは最終目的地ではなかったが、敵機の空爆に会い、やむをえず上陸した地点である。しかし、当初は60艇のうち半分も上陸できればと思われていたが、ほとんど被害もなく上陸できた。このため、この舟艇による兵員の輸送作戦はその後近衛師団も踏襲した。メリンダム上陸後、歩兵第11連隊は、英国軍の退路をたつことに成功、カンバル作戦を背面から擁護することになり、年が明けた1月2日、英国軍は陣地を捨てて逃走した。