12月23日朝。支隊はぺラク河まで8キロに迫ったが、残念ながら鉄道橋、車道橋とも3時間前すでに二つの橋とも破壊されてしまった。日本側は当然このような事態を予測して軍司令部では、工兵を中心に架橋材料中隊、渡河資材中隊を事前に編成していた。そこで直ちに橋の応急修理を行い、南下する部隊の渡河作戦に支障のないようにした。冒頭の国定向後教科書「マライを進む」は、このときの渡河作戦を描いたものだ。