「家系図」を作ることを、是非 と、オススメする理由の一つに、
「自分の源流を知る」ことができるから。
今年の春分は特別と感じてたので、供養としてはお彼岸でもある3月19日に父方の本家の菩提寺を訪ねました
塚本家の三男として産まれた(二男は生後間もなく死亡)父の父、すなわち祖父は、生まれ故郷の福井県遠敷郡を離れ、京都の酒類食料品店に丁稚奉公に入ったと、聞いてました。
いつもお墓参りをさせていただく京都の塚本家のお墓は、分家した祖父が建てたお墓なので、祖父母と母しか入っておらず、「塚本家先祖代々」と、水塔姿を立てるものの、ご先祖のイメージができませんでした。
本家の菩提寺には、18年前に一度、親族で訪ねたことはあったのですが、家系図に出逢ってなかった私は、興味本位で、感謝の想いを込めるまでは至ってなかったと、今では感じます。
家系図に出逢い、ご先祖のお名前を知ってから訪ねる今回は、明らかに気持ちが違いました
車で2時間弱。こんなに近かったの
そこは、のどかに広がる、ザ・田舎の風景
訪ねると、ご住職は、過去帳を用意してお迎え下さいました。
初めて見る、お寺の過去帳。
約200年前までの檀家が記録されているというその中に、私のご先祖のお名前もありました。
そして、ご住職のお話の中で面白かったのは、「塚本家」という呼び方ではなく、「忠助(ちゅうすけ)の家」という呼び方。
江戸時代は、庶民は名字を公的には使えなくて、しかも田舎の集落で、「塚本」はいくつもあり、家を興した人の名前を「屋号」として区別していたのです。
その屋号を代々襲名したり、たとえその家の当主の名前が変わっても、「忠助の〇〇」という風に、まるで現代の名字のように用いられるのです。
だから、そこを理解しておかなければ、お話を伺っててもこんがらがってしまいます💦
家系図作成の学びで知っていたことだけど、実際に「屋号」を使ってお話されるのを聞いたのは初めて・・と、・・・思ったけど・・・、
ん・・・
確か、昔、父や叔母に本家のことを尋ねたときもそんな呼び方してた!
それでいつも「名字は~?」って、いちいち聞き返してた記憶が
あ~、そういうことやったんや~!
で、思い切って、父の話の中でよく出てきていた、
「八兵衛さんのお家って・・・」
と、切り出したら、
「あ~、八兵衛んトコは~」
あはっ!すぐ通じる~
で、八兵衛さんって誰やねん
どうやら、近所の人らしい
ちなみに、忠助さんは、高祖父にあたる方。
高祖父 忠助さん
↓
曽祖父 嘉蔵さん
↓
祖父 嘉吉さん
↓
父 忠雄さん
↓
私
だけど、実は、嘉蔵さんは塚本家に養子に入られてるので、生家は山本家で、私の血流としては、山本家ということに・・
「「作次郎」んトコは、続いてますよ」
おぉ~
こりゃ、興味深い情報が山盛りだゎさ~
NHKのファミリーヒストリーそのもの。
頭の中で、あの、「ファミリーヒストリー」のタイトルコールと、
タイトル背景のグリーンが浮かんでました。
つづく・・
今日もお読みいただき有難うございました。