『清浄な力』
東寺の中央に建立された立体曼荼羅の講堂には
空海が解かれた世界観が凝縮されています。
無条件の慈悲と無限の叡智を説く為の講堂でもあります。
先ず、講堂に入って直ぐに『梵天』が奉安されており
出口に『帝釈天』が奉安されています。
2つ合わせて『梵釈』と言われますが
『梵天』は、『清浄』を意味し、
『帝釈天』は、『生命力』を意味します。
この二つの並びを次のように理解しています。
それは
人の本性は、絶え間なく『清浄』を求めている事
その清浄を『求める力(生命力)』に勝るものはないという意味です。
そして
『梵天』の台座は泥水でも飲み尽くす『ガチョウ』
『帝釈天』の台座は大乗を意味する白い『ゾウ』
これは『清濁併吞』と『万象に及ぶ叡智』を意味し
すでに私たちは慈しみの中にいる事を表しています。
他力を思わせる一方で
帝釈天の手には
金剛杵をもっている
これは清浄とは真逆の不浄を立つ道具です。
金剛杵は雷を放ち、衝撃を与えますが
その受け止め方によって清浄化するという意味もあり
私達は、命を輝かせる為に、相手を通して自ら変わるという自力の側面も必要であるという
意味が込められています。
問題のない家系も家族も存在しません。
私達はこの背負った命のバトンを
いかに輝かせるかという大切な立場にあるのだと理解しています。