大正作業所オタスケマンのブログ

大正作業所オタスケマンのブログ

大阪市大正区の「大正共同作業所」を利用している、HIVと記憶障害と闘う「オタスケマン」氏のブログです。

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こんにちは。

皆さん、お元気ですか?
僕は、絶好調です。

体調も万全‼︎

最近、発覚したんですが…。
僕、入院した時のAIDS指標の「CD4」が「14」しかなかった…と聞かされて驚愕‼︎‼︎‼︎

えーーーーーーっっっっっ‼︎‼︎‼︎
って感じでした…。
主治医曰く「死にかけで運ばれてきたんやで‼︎」と言われても、本人全然平気で、自分で転院手続きまでして今の病院にきたわけで…笑。
そんな、大変な事になっているとは知らず…。

奇跡の復活を遂げたのです…笑。

余談はこれぐらいにして、奇跡の復活を遂げたオタスケマンです。

お待たせ致しました、本題へ…。

しかし、暑いなぁ…。

以前は既にこの時期は、真っ黒黒焦げ状態でした。
今は見る影もなく…
真っ白です…笑。

夏らしくなりたい今日この頃です…。

以前はプールに海に…と散々行きまくってましたが、今はそこまでの体力も気力もなく、涼しい所で居させて♪と願うばかりです。
本当に、オヤジになったなぁ…笑。」

こんな事も言えるのは
僕がまだ生きている証拠。」

ありがたいです。
本当に感謝です。
関わってくれた人達全てに…。


俺は生きてるぞーっ‼︎


勝手に殺すなーっ‼︎
って叫んでいました。
そら、3年近くも、どこにも顔を出してないんやから「死亡説」が出るのも仕方ないわな❓笑。


昔の人が言う「歳はとりたくない」と言う言葉がわかる…年齢に、僕もなって来たのか…笑。



少しブログの事で色々と調べて行くと、アメブロ内でも同じHIVの事を様々な視点から書かれている、結構興味深い記事を書いてる僕と同じ病気の人が沢山居てる…。
面白い系から真面目系まで、色々な表現の仕方がある。
そんな書かれているモノを参考にさせてもらって、新たに書いてみようと考えていました。


で、まずはお詫びから…。

前回、前々回、前前前回(865)と入院してる時の状況を書かせて頂きました。
で前前前回(865)は、不本意な終わり方になってしまって申し訳ございません。(あれから先がどうしても思い出せないのです…)

今回は、また新たなステージを書いて見たいと思います。(速攻、急に終わらせたのにすぐまた書くのかい?)と声が聞こえて来そうな感じを放ったらかしにして、我が道を進む…笑。

何か前回、前々回の事を読んだ読者の方々から、素敵な感想が頂けて書いて良かった…と実感してます。
僕がこの「体験」を書く事によって、皆さんがHIVの事に理解を示してくれたら成功だ…と思って書いています。
他にも沢山あるのですが…。
HIVの事に書かれている(本人体験などの)ブログなどが…笑。


けど、それでも僕は自分の言葉で、しっかりと書いて行きたい…と思います。
たまに「下衆な話題に突入する事もありますが…笑」



みんなそれぞれ世の中の偏見をなくす為に、一生懸命書いています。

なので、気長に僕が書こうと言うタイミングの時に書かせて頂けたら…と思います。

それこそ「不定期更新で

読者の方々は、大半が「医療関係者」や「障害、介護関係者」の人達なので、言われる事も凄い的確な感想を言って頂けます。
宣伝して良かった…。

このブログ?は、「HIVに感染して脳症を患ったオタスケマンが自ら書いて」います。
多くの読んでいる皆さんは「それが不思議‼︎」と言ってくれています。
本当に貴方は障害者なの?」だとか「脳症を患ってたの」だとか、「文章からして全然そう思えない」だとか…。

なので全ての障害者の方々、何も悲観する事はないですよ。
僕も一度は病院から「見放された状態(死にかけ)」だったのですから…。
もちろん「絶対に生き延びたい」との信念はありましたが…。

障害者」に対しての人それぞれの認識の違いですかね?笑。

僕も自分が障害者になって初めてわかった事が沢山あります。
人はその立場にならないと、絶対にわからない事もある」って知りました…。

(ここは声を大にして言いたい‼︎)

このブログを書く事によって、新たな仲間や目標が出て来て、中途半端では終わらせてはいけない…と、気を新たに気持ちを持って臨んでいます。

どーか、どうぞ最後までお付き合い宜しくお願い致します。
(最後ってらどこやねん‼︎って?笑。)



では、本題。



病院を退院してからすぐに僕は「高齢者老人施設」に入りました。

なぜ、この若さで「老人施設」なのか?

詳しくはわからないですが、病院側サイドで「ここしか受け入れてもらえない」と判断したようです(HIVの人の受け入れ先が全くなかったのです)

老人介護施設でも「HIVの方の扱い方がわからないから…すみません」と散々言われ、やっと一つあった所に入所しました。
(そこの所長さんが、以前HIVの人を扱った事があるそうです。)



ココでも差別…。


入る前から差別…。
世の中差別だらけ…と改めて思い知りました…涙。
こんな仕事をしているのに…。
福祉の仕事をしているのに…。



一度、施設内で「疥癬」(かいせん)の人が入ってきた事があったのです。
スタッフ総出で、対応していたんですが、その対応しているスタッフですら、なんの事かわかってなかったらしく…。
後手後手で、ホンマに「何時間かの講習受けたら」、「資格だけ持ってれば出来る仕事」と思われてるんやなぁ…と主婦の人達の安易な考えで迷惑こうむるのは嫌っ‼︎と。
面接を受けに来る人達の大半が主婦…と言う現状…。
後、大半のスタッフが「派遣」と言う「責任がない」状態での運営…。
知識も責任も何もない人達が世話をするこの現状…。
今まで働いた事のない人達が、こぞって面接に来る始末(普通に物事を考えればわかるはずやのに…)
痒い所に手が届かないスタッフ達…。
気遣いが出来ないスタッフ…。
介護とは、どう言うものかわかっていないスタッフ…。
現実と理想のギャップに打ちのめされるスタッフ達…。
で結局、長続きしないまま辞めて行く…。
本当に最悪な場所での生活でした…。
大学のサークル」みたいな状態で運営されてました。
もしかしたら、サークルの方が統率が取れてるかも…。

悪循環…‼︎

まぁ、受け入れ先がなかったので、一応感謝はしてるけど、ど素人集団の中に放り込まれた感じがした…。

一番、苦痛やった…。
あの施設で居てるのが…。

けどこの気持ちは、誰にもわかってもらえない…。
常に我慢をするのは僕の方。」

家族も友達も施設の人も…。
四面楚歌状態でした…。


と、入居者の方々からも不満の声がわんさか…。
どこも同じだと思うのですが殆どの方は「家の奴らに騙された」と言っていました…。
老人の人達でも、ココの施設での居場所がないんやね…と。
後、若干「知的障害がある半身不自由な比較的若い人」も入って来て、僕は仲良かったのですが…
その方は、人を呼ぶのに「ナースコールを鳴らさない方」で大声で叫ぶのです。
どー言った叫びか…
うんちー‼︎うんちー‼︎うんちー‼︎‼︎」と何回も大声で叫ぶのです。
後「痛い‼︎痛い‼︎痛い‼︎」だとか手を目のそばに持って来て「ショボショボ‼︎ショボショボ‼︎ショボショボ‼︎」だとか理解するのが大変で…。
うんちー‼︎」の時は、本当に「うんち」の時もあるし、そうではない時もある…。
ショボショボ‼︎」の時は「目薬をさして欲しい」の合図で、「痛い‼︎」の時はテレビのリモコンや何かをして欲しいら時に「痛い‼︎」と言う単語が出て来るのです。

これらを理解するのが、本当に大変で、何故かこの彼の担当が「」みたいになってたのです。
同じ階に入って来たので、邪険に扱う事も出来ず…。


で、ある時事件が起きたのです。
従業員の一人がその仮にAくんとしましょうか?
Aくんとが叫び続けていたので「ナースコールを鳴らしてください」と教えて鳴らしたのですが、従業員からの返答は「痛い‼︎痛い‼︎ではわかりません。我慢してください‼︎でお薬は、貰ってません‼︎何がして欲しいのかはっきり言って下さい‼︎」と内線電話から聞こえてきたのです。
その場に僕が居るとも知らずに
聞いた瞬間「どタマに来て」もうて、施設長に言ったんです。
こんな事がありました」と。
言わば「告げ口」を僕がしたのです。
あまりにも我慢が出来なかったので…。
しかもその従業員は、中でもリーダーの役目だったので…。
何でこんな奴がリーダーなんやろか?
全く状況が見えてない奴がリーダーって…。
自分の保身しか考えていない奴がリーダー⁉︎

と老人施設の件を書かせると「延々」と書けるぐらいに、事件が山盛りだったのです。
本当に気分を害す事ばかり

まだまだありますよ…。
まっ続きはまた次回で。

もちろん、僕だけではない事もわかっていました。

それぞれの立場で、それぞれの思い」があって、その思いが「なかなか重ならなかった」だけの事です。

で僕は…と言うと、「こんな施設から出たくて出たくて仕方なかった」のです。

いわば「牢獄のような所。」

病院に居てるのと何ら変わらんやん…。
むしろ病院の方が良かったわ。」

入り口は施錠が完璧にされている…。

軟禁状態です。

要塞みたいなところで完璧な管理がされていたのです。

アレもだめ、コレもだめ、それもダメ…
じゃ、何が良いねん‼︎ってなるぐらいにダメダメダメ尽くしでした

料理の件と服薬の件に関しては、ありがたかった…。

と施設側が雇っている訪問看護の先生は「最悪」の先生でした。
その先生に見られるのが一番、何よりも嫌でした。
施設側に言っても、何も解決してくれないし、まだまだヒエラルキーは先生に軍配があがってるそうです。
毎回「食事は食べれてますか」「美味しいですか」「何か変わった事はありませんか」この3つの質問を投げかけてきて、僕の症状がわかるのか?と。

あと首から下げている「聴診器」は飾りかっ‼︎とずーっと思っていました。

そんな最悪の施設で1年過ごした僕を自分で褒めてやりたい…と思っています。

自立をしようと思って入った施設」で、全てお膳立てしてくれて、「洗濯も掃除も食事も」全てやってくれる施設をどれだけ「恨んだか

そんなんやって要らん‼︎
僕は自立の為にココに来たんや‼︎

と何回もぶつかっては、粉々にされて、打ちのめされて…。

そんな中、一人の人と出会ったのです。
その人は「新しい施設の職員」(Hくんとしときましょうか?笑)

Hくんは僕の話を夜遅くまで聞いてくれて、解決をしようと頑張ってくれたり、動いてくれたりしていました

言うならば、お友達みたいな感じで居てました。
年齢は僕よりも随分と年下で、多分一回りは違ってたかなぁ…。
そのHくんが色々と頑張ってくれて施設と掛け合ってくれたおかげで、晴れて「念願の施設を出る」事になったのです。

H君との約束事の一つは「時間厳守
外出許可が「施設内で初めて特別に」僕に出されたのです。
けど条件があって「必ず時間までには帰ってくる事‼︎

そんなすったもんだがあってから、何回も話し合いが続き、晴れて施設を出る所まで辿り着いたのです。

家族からしたら、「まだ出るのは早い…」と思ってたかも知れないけど、このタイミングを逃すと、二度と出れないような感じがして…「最後はゴリ押しでした。」


人を信用しない僕」でも、「Hくんの事だけは信用していた」し、「沢山の約束事をしても彼との約束は裏切りたくない」と思っていた。

この出逢いは、「僕の中で大きかった
仕事とプライベートをきっちりと分けている人で、このぐらいは…と言っても「頑としてダメ‼︎」と、許してくれなかった…。
もー、ブレない本当に尊敬に値する人。」
これからは、もっと大きなフィールドで頑張って欲しいなぁ…。
ある意味、僕の「希望」の奴でした。

あんな小さい所で、くすぶるような人ではない…と思っているけど…。


風の噂で奴は、同じ系列の別の場所に移動をしたらしい…。
彼の中で、僕はあの場所での最後の利用者でありたい…。
そうあって欲しいと思います。

別の場所に行っても頑張って欲しいなぁ…。
Hくんにもこのブログを読んで欲しいなぁ…。
と言うか、この前LINEでブログの件を話したら「読ませていただきます」と言ってくれたのが印象的でした…。

僕と話する時もすべて敬語で喋ってくるH君はやはり尊敬に値します…。

僕は元気で頑張ってますよ」と言いたい。

貴方も元気で頑張って下さい…と。

で「大変、お世話になりました」と。
まだ、これもちゃんと言えてなかったので…。

あなたが居たから、我慢も出来たし、僕の中では「大きな存在」でした…。

このブログを読んで、ぼくが「同性愛者
だと初めて知ったと思います。
初めて僕の事(施設内で)をわかってくれた…と思います。

同性愛者と言うだけで「毛嫌い」しないで下さいね。

で、これからも「相談に乗って下さい




Hくん、本当にお世話になりました。
ありがとう‼︎




本当は病院の「以前の主治医の先生」に読んで欲しかった…。

僕の命を繋ぎ止めてくれた」先生に…。

決して今の先生が嫌ってわけではなく…。

あっ、今の先生読んでくれてるんやった…笑。

主治医がかわったんですよ…難しいなぁ…。人の事を書くのは…。書き方によっては勘違されるかも知れないし…。
僕の思い入れの問題で、どっちがどっちと言う話ではなく…。まぁ先生もわかってくれてるとは思うのですが………笑。)

以上、もっと書きたかった…笑。
これ以上書いたら読むのが大変やしね…笑。





以上、老人施設の話でした。

また機会があればいつの日か、続きを書かせて頂こうと思っています・・・。