しかしとにかくウェアを来て朝レンの準備はする。
ローテーション的に今日はマウンテンバイクで武庫川河川敷オフロードを走る。
そして土手に上がる手前でウイリーも試してみる。
しかしまだ前輪を上げたまましばらく走るというところまではいかない。
また来週練習だ。
そのまま土手に上がり、川の外を南に走り、家にを目指す。
今日は家に帰ってそのまま自転車だけ乗り換えてコープ立花に買い物に行った。
とにかくいつも貯めているプラスチックごみが袋に溜まってきた。
また野菜ではキャベツが無くなった。
さっそくコープについてゴミを回収箱に透明、発砲スチロール、紙パックそれぞれ入れる。
そして中に入ってまずキャベツの棚を見たらまるごと198円と一時より値段が下がっていた。
買い物かごに躊躇せず入れ、発泡酒棚にも行って大麒麟を3本買う。
そして支払いして家に帰るとまだ10時半だった。
新聞に目を通し、11時にはピアノ練習する。
「わたしの紙風船」「エリーゼのために」を結構完璧を求めて練習する。
まずどこでも失敗なしに譜面もなしで弾けるスキルをつけることだ。
昼食は妻がラーメンを作ってくれて食べ、しばらく休んで昼寝はがっちりとる。
置けてからはひたすら読書。
「アイヌ民族と日本人」の続きを読む。
東アジア地域のなかの蝦夷地という項目だが、思っていた以上にとくに江戸時代松前藩の独占的な貿易だが、北海道の鮭、鰊、
鱒などが食料として、また肥料として本州、九州、琉球に販売していた。
逆にその保存のため塩は本州から蝦夷に販売される。
江戸時代は海外との貿易は長崎に限定されていたが、当時の薩摩、長州が抜け駆けで貿易し、中国にも販売していたという。
その流れで薩摩、長州が裕福になり、明治維新の中心になったという歴史が書かれている。
間接的にはアイヌとの交易が明治時代を生み出す根拠になったということも書かれている。
それだけ蝦夷(北海道)では鮭、鰊やラッコなど豊富な貿易商品があった。
おもしろい内容だった。
ただその中でアイヌ民族というかアイヌの人たちは本土の藩のような組織もなく、小さなコタンという部落が集まった社会だけ
に本土から武士の集団が武器を持って弾圧してきたら反撃もできるものではない。
それはかっても縄文時代に縄文人が弥生人が交わってきたときとはまったく違った状況だ。
そんなことを考える内容があるのがよかった。
夕方は妻が夕方の仕事に出た後、夕食づくりと今日は髪ぞめもしがらピアノも30分ぐらい練習するというハードな時間だった
が、すべてやり終えて今ブログを書いている瞬間は充実している。
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