ランドセル贈呈現象に思う | ビバ・ビアンキのブログ

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Photo  最近どこから始まったのか、ちょっとよくわかっていないが、児童福祉施設などに伊達直人の名前でランドセルを置いていく事件というか、行為が連鎖し、マスコミも連日取り上げている。



 ぼくの感想は率直に歓迎したい。



 昼休み食事に入る食堂の奥さんにその値段の相場を聞いてみたが、安いものでも2万円、高価なものは10万円はするという。



 4個置いていったとしたら10万円前後するわけだが、決して裕福な人がやったとは思えない。



 その閉塞した昨年からの経済と社会の中で何かを表現したかったと想像する。



 ぼくがいつも言っている宝くじを買う行為に較べたら、明らかに筋が通っている。



 自分の儲けのためでもない。名前をアニメの英雄にたとえるように売名行為でもない。しか



しきっと人に喜ばれる。



 しかし宝くじ、ロト6などは明らかに自分が裕福になることを夢みて券を買うというか、お金を捨てる行為だ。(ちょっと言い過ぎでしたが)



 しかし今はいつから特に都会では、他人のことに関わらない風潮になってしまったのだろう。



 実際自転車どうしぶつかりかけてお互い止まっても、次の瞬間何もなかったかのように過ぎていく光景を見ると「いやだなあ」と思うことがある。



 また、実際自分が体験したのだが、車道を走っていて、すぐ横の歩道を走っている自転車が、左折してきたバスに体当たりし、タイヤの下に巻き込まれかえるのを見て、止まって現場に走ったのは僕と数人だけ。



 しかも第一発見者となったのは、ぼくだった。後の近くにいたバイク、歩行者などは



過ぎさっていく。



 20年ほど前までは、知らない人でも車が脱輪してこまっていたら、必ず周りの運転手はとまっって助けていた時代だった。



 だから今、パフォーマンスであっても恵まえない子供のためにランドセルを置いていく行為はかっこいいではないか。



  



 話は変わって昨日NHK SONGSでイーディーズを見た。



 デスペラード(ならずもの)という曲からグループを知ったが、そのメンバーはどんな人たちかはずかしいながらまったく知らなかった。



 彼らはビートルズにあこがれ、ハーモニーを重視した4人の仲間で結成したという。



 アメリカ西海岸の匂いをもったサウンズだが、「ホテルカルフォルニア」は、痛烈な当時の社会批判が根底にあると解説していた。



 ちょっと知らなかったことを知ってしまったという満足感をもてた。