大垣市内にて…№1:大垣城 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(4日)

私「洋ちゃん」37期生で今年3月に卒業。

所属していた某クラブ同期生の学友12名と大垣市内の各所を散策。

↓学友の皆さん(お断り…小さくしました)

↓ようこそ大垣 観光ガイドマップを入手

 

訪ね歩いた場所を、数回にわたりボツボツ紹介させて頂きます。

 

№1:大垣城です。

平成29年4月6日(城の日)に、

(公財)日本城郭協会から「続日本100名城」が発表され大垣城が選出されています。

 

当日は火曜日でお休みでした…残念

確か、数年前、私が訪ねた際も火曜日でしたが、

大垣城は入場でき、近くにある「郷土館」「美術館」は休日でした。

その時も思いましたが公的な施設の多くは月曜日の休日は多くありますが、

火曜日の休日は珍では…??。

 

休日でしたが、

大垣城域に関する名勝標札をデジカメしてきました。

(付記)

↓大垣城公式ホームページより引用

大垣城は美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定により、天文4年(1535)に創建された

と伝えられています。

関ケ原の戦いでは、西軍・石田三成の本拠地となりました。

その後、戸田氏が十万石の城主となり明治まで太平の世が続きました。

昭和11年(1936)に国宝に指定されましたが、昭和20年(1945)7月戦災で焼失。

昭和34年(1959)4月、4層4階の天守を再建し、城下町大垣のシンボルとなりました。

デジカメ

↓大垣城

↓美濃大垣藩・初代藩主である戸田氏鉄(とだうじかね)の騎馬像。
 1994年
(平成6年)3月に建立。

建詞…ネットより引用

戸田氏鉄公は大垣戸田藩の初代藩主として寛永12年(1635)大垣に転封となり230余年に亘る大垣藩政の基礎を固められました。
氏鉄公は幼時より父君近江膳所の藩主一西公の許にあって武勇殊のほか逞ましく成長され、14才にして徳川家康公に仕えられ関原の役に参戦しては家康公の傍に在って武功をたてられました
父君一西公の跡を受けて近江膳所城主となり、その後摂津尼崎に転封され五万石の城主として治水事業に格別の手腕を発揮されました
美濃大垣十万石の藩守となってからは島原の役への出陣領内の新田開発藩政の基本となる諸法整備に努められ揺るぎない財政基盤を確立領民の生活の安泰を計られました
氏鉄公に始まる戸田十一代の藩政は明治維新の後も郷土大垣の繁栄の糧として脉々として受け継がれ今日の豊かな暮しに息づいております
この氏鉄公の偉業を永く後世に伝えて顕彰するとともに豊かな郷土への恩恵に感謝し相計って騎馬銅像を建立するものであります。

 

↓大垣城・案内

↓本丸・店主の変遷:屋根瓦と石垣

👇拡大

👅観光ガイドブックよりスキャン

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(補記)

大垣城域内にあり

↓大垣大神宮

 1881年に伊勢神宮を勧請して創建。1946年に大垣大神宮に改称。祭神は天照大御神。

(特記)

大垣城近辺を散策