【神宮四門】…海藏門:清雪門:春敲門:鎮皇門 | 「洋ちゃん」のひとりごと

「洋ちゃん」のひとりごと

 人生いろいろ楽しもう

熱田神宮

【神宮四門】について

 

南門…本殿の正面「海蔵門」

東門こと「春敲門

西門こと「鎮皇門

そして開かずの門「清雪門

これらの門は神宮四門と呼び大変多くの観光客で賑わったといわれる。

………………………………………………………………………………………………

海藏門です➡昭和20年戦災で焼失

(付記)

海蔵門は別名「海上門・南門」とも呼ばれる門です。

👇

元亀2年(1571年)織田信長が熱田神宮社殿の修復工事を行なった時に新たに

正門として建てられたのが海蔵門の始まり。

👇

1920 年(大正 9 年)4 月 15 日に旧国宝に指定されましたが、

1945 年(昭和 20 年)5 月 17 日の戦災で焼失しました。

1945 年までは、「信長塀」は国宝の海上門とつながっていました

☟昭和初期の熱田神宮「海藏門」

☟現在の熱田神宮「海藏門跡」

☟赤丸の場所

………………………………………………………………………………………………

清雪門…現存

開かずの門…1000年以上も閉ざされたいわくつきの不開門「清雪門」

清雪門だけは戦災にあわず、

神宮四門で唯一現存する最後の門として今も尚熱田神宮の境内に存在している。

(付記)

清雪門は神宮四門の内北門として熱田神宮の境内に存在していた。

時代は不明ですが別宮の東門として移転され

現在もその姿のまま境内に残っている。

👇

草薙剣が熱田神宮から盗まれた時に使われた門が清雪門だったので

熱田神宮としては二度と草薙剣を外に持ち出さないようにと清雪門を固く

閉ざしてしまった。

これが清雪門が不開門となった出来事です。

(付記)

草薙剣盗難事件について…ネットより引用

飛鳥時代の668年。

天智天皇の時代に起こった事件でした。

海外の僧侶が草薙剣の魅力に取り憑かれ熱田神宮から草薙剣を持ち出してしまい

新羅(朝鮮半島)へ逃げようと試みました。

しかし、その道中天候が悪化し、激しい雨風に遭いました。

その僧侶は剣の怒りを買ってしまったと後悔をし、

やむなく熱田神宮に草薙剣を返還した。

☟赤丸の場所

………………………………………………………………………………………………

「熱田神宮・春敲門➡戦災で焼失

東鳥居から参入し、春日灯篭の手前辺り、戦前には旧東門の春敲門がありました。

残念ながら戦災にて焼失していますが、参道の幅の違いにその面影が残ります。

☟現在の場所

………………………………………………………………………………………………

「熱田神宮・鎮皇(ちんこう)門」➡戦災で焼失

熱田神宮の西門あたりにあったが、戦災で焼失。

現在でも5月05日には、神輿渡御神事の神輿(みこし)が、

本宮から正参道・南門を経て 鎮皇門跡の西門まで進み、遥かに皇居(京都御所)を望み、

皇室の御安泰と国家の隆昌を祈念する祭典が行なわれる。

………………………………………………………………………………………………