尾張藩:矢田川河原砲場について:ハッチョウトンボ(八丁蜻蛉) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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尾張藩:矢田川河原砲場について調べました。

「幕末まで使用された射撃訓練所」です。

 

旧矢田川(明和の洪水前)の長母寺の川原から、

現在の千代田橋あたりまでの場所…下;地図参照

 

当時、

川幅も広く真っ直ぐで、大筒・鉄砲の試射・調練に向いていて、

長距離砲の大筒・火矢筒・鉄砲の修練場として使用されたとの事。

 

稲富一夢(稲富流祖)が、慶安3年(1650年)に拝領したこの地に、

鉄砲稽古場を開いたことに始まるが、

記録上では早々と尾張藩の調練場になったようです。

 

その後、

万治2年(1659年)尾張藩の公式長距離射撃訓練所い整備され、

幕末まで使用されていた。

三大砲場(相州弓ヶ浜砲場(現;神奈川県)・泉州堺の七堂浜砲場(現;大阪府南西部)

の一つとして知られていました。

 

👇赤矢印…長母寺

 青矢印…千代田橋

 

🔶矢田川決壊(亥年(いのしし年)の洪水)について

1767年(明治4年)7月10日~13日、雨は間断なく降り矢田川、庄内川は各地で破堤。

尾張藩では2,000余人の溺死者を出す大災害が起きた。

従来長母寺と宝勝寺は陸続きであり、矢田川は長母寺の南を流れていたが、

この洪水により矢田川は長母寺と宝勝寺の間を突き抜け、長母寺の北に流路を変えた。

昭和の初めに行われた工事により現在の流路になった。

 

👇青矢印…宝勝寺

 赤矢印…長母寺

 

長母寺境内にある「やたかハはし」と彫られた標柱

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↓ 長母寺の北、矢田川堤防上からデジカメ

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ハッチョウトンボ(八丁蜻蛉)トンボでは世界最小の部類、体調17~20mm位、一円玉位。

 

矢田川周辺はハッチョウトンボが最初に発見された場所です。

名前の由来は、大河内存真が矢田川砲場に設けられた飛距離の目印の

『八丁目』の松付近で発見し、命名したとの由。

この大河内存真は植物学で著名な伊藤圭介の兄で明治16年、88歳にて死去。

(付記)

『蜻蛉譜』には、

「大量矢田河原ノ八町場ニ出ル故ニ名アリ」と記されている。

現在ではその姿を見ることは少なくなった。

 

(特記)

八丁蜻蛉の名前の由来…Wikipediaより引用

名前の由来は、

尾張の本草学者・大河内存真(おおこうち ぞんしん:1796-1883)による『蟲類写集』に

「ヤダノテツポウバハツチウメ」(矢田鉄砲場八丁目)のみで発見せられるために

「ハツチウトンボ」の名を有する、との記載に因むとされる。

この矢田鉄砲場八丁目の詳しい場所は現在不明とされるが、名古屋市内の矢田川付近と見られている。

また一説には矢田河原八丁畷(現在の名古屋市千種区周辺)で発見されたことに由来するとの説もあるが、この説の根拠はよくわかっていない。

 

(日めくりより)

今日(6日)の言葉

『遠くの親類より近くの他人』  

 👅

 遠方にいる親類よりも近隣にいる他人の方が頼りになる。

 👅

 疎遠な親類よりも親密な他人のほうが助けになる。

 

(21,696歩)