先日(2日)
稲沢市にあります
はだか祭りで有名な
尾張大国霊神社(国府宮)
を訪ねデジカメしながら参拝してきました。
国府宮について…ネット引用、
御祭神(ごさいじん)
尾張大國霊神(おわりおおくにたまのかみ)
尾張地方の國霊神(くにたまのかみ)であり、尾張人の祖先がこの地に移住開拓し、
その日その日を生きていく糧を生み出す根源である国土の偉大なる霊力を神とし
て敬い、尾張大國霊神としてお祀りしたのであります。
由緒
尾張地方の総鎮守神、農商業守護神、厄除神として広く信仰される神社。
奈良時代、国衛(こくが)に隣接して御鎮座していたことから尾張国の総社と
定められ、国司自らが祭祀を執り行っていたことから一般には国府宮神社、
国府宮と呼ばれるようになりました。
本殿・祭文殿・東西の廻廊・拝殿(重要文化財)・楼門(重要文化財)が
建ち並び、本殿に接する隠された場所に磐境と呼ばれる五個の大きな自然石
が円形に並んでいます。
👅デジカメ
↓国府宮神社の楼門前の通りの西側
↓楼門(昭和30年重要文化財指定)
足利初期(約550年前)に建てられ、正保3年(1646年)に解体大修理を加えましたが、
その際、上層を全く改造したので珍しく両期の建築手法様式を備えております。
↓拝殿(昭和30年重要文化財指定()
徳川初期(約350年前)に建った切妻造で内に柱が並立する稀有な建物。
本殿
本殿は流造、拝殿は切妻造、全体の様式(建物の配置)は尾張式といわれる
もので本殿・渡殿・祭文殿・東西の廻廊・拝殿と建ち並ぶ。
↓磐境(いわくら)…ネットより
本殿に接する形で磐境と呼ばれる五個の大きな自然石が円形に立ち並んでおります。
↓儺追殿(なおいでん)
儺追神事「はだか祭」は毎年旧正月13日に行われ、昔、神護景雲元年(約1200年前)
称徳天皇の勅命によって悪疫退散の祈祷が各国で行われ、その時、尾張国司が総社で
ある当神社に於いても巌修し、これが儺追神事となって今に伝わる。そして、
この儺追殿は、はだか祭の前に身を清めるため、神男が三日三晩過ごし、当日の神事
の場所として代々使われてきた貴重な場所です。
↓楼門の正面から南方向(国府宮駅方面)
↓楼門の正面から西方向(名鉄・踏切方面)
↓
👅手持ちの資料
👅尾張名所図会・後編巻之二
(追記)
尾張大国霊神社(国府宮)について
(日めくりより)
今日(16日)の言葉
『鳴くまで待とう時鳥』
👅 👅
相手が鳴かないのなら、鳴くまで待っていようという意味。
「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥」で織田信長の短気を、
「鳴かぬなら鳴かしてみしょう時鳥」で豊臣秀吉の才覚を、
「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」で徳川家康の粘り強い忍耐を、
それぞれ三人の性格を特徴づけて表現したもの。
(21,750歩)
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↓参考に…2024年5月7日付け中日新聞よりスキャン