福島正則没後四百年…あま市出身の戦国武将 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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一昨日(29日)

あま市出身の戦国武将、福島正則(1561~1624年)の

菩提寺菊泉院に残されている肖像画や木像などの

展示会が、

ネットより

同市の美和歴史民俗資料館で開催されていと知り

早速、

訪ねましたが当日(29日…水曜日)及び昨日(30…木曜日)

残念ながら休館日でした。  

            ※12月3日(日曜日)まで開催。

(付記)

あま市の施設であり、

月曜日なら休館があるかも?、平日の水・木曜日が休館とは全く予期しませんでした。

私の確認不足です…今後は注意します。

催しを知った関連パンフレットには、水・木曜日休館の記載なし。

☟参照

(注)スタンプラリーは12月28日(木)まで開催ですが、

   肖像画や木像などの展示会は12月3日(日)まで開催との由。

 

私「洋ちゃん」

残念ながら、12月3日まで用件がはいっているため鑑賞に赴き出来ません。

 

👅ネットよりに会場の様子をスキャン

会場には、

木造毘沙門天立像や1717年に奉納された正則の肖像画、活躍が描かれた江戸から

明治期の錦絵など23点を展示したと記載あり。

 

👅一昨日(29日)休館日に訪ねた

 「あま市歴史民俗博物館」の敷地内でデジカメ

↓正面玄関

↓「福島正則生誕地」の石碑…玄関のすぐ左にありました

↓玄関に向かって左脇

………………………………………………………………………………

福島正則について調べました。

↓ネットより

<業績>

賤ケ岳七本槍の一人
正則は,1561年(永禄4)に市兵衛正信の子として生まれた。

母は,豊臣秀吉の叔母であったと言われている。

幼名を市松という。
侍になる夢を抱き続け,秀吉の家臣となり,末は,広島城主となった。
情に厚く熱血漢で愚直なまでの勇猛さと,誇りの高さと己の腕で,激動の時代を生き抜いた武将である。
武人としての才能は言うまでもなく,治水工事にたけた技巧派という側面を併せもっている。

名古屋城下の堀川を開いたことはあまりにも有名である。  


<年譜>
1561年(永禄 4) あま市二ツ寺(旧美和町)に出生
1573年(元亀 4) 秀吉の家臣となる
1583年(天正11) 賤ケ岳の合戦で活躍
1595年(文禄 4) 清洲城主となる
1600年(慶長 5) 関が原の合戦。徳川方に属す。広島城主
1624年(寛永 1) 63歳で没

👇手持ち資料をスキャン



(追記)
福島正則について

福島正則像…納屋橋ゆめ広場にあり

福島正則の菩提寺・生誕地を訪ねる…あま市二ツ寺

秀吉清正記念館で開催のパネル展 福島正則 =かくされた一面=を鑑賞

 

(日めくりより)

今日(1日)の言葉

『風邪は万病のもと』 

 👅

風邪のような些細な病も、放っておくと様々な病気に転じることをさします。

 👅 

風邪はあらゆる病気の元 であるから用心すべきであるということ。

 

(20,435歩)