戦中下名古屋にあったおもな「軍事施設」について | 「洋ちゃん」のひとりごと

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第二次世界大戦(太平洋戦争)戦中下、

名古屋もアメリカ軍からの激しい空襲をうけました。

 

記録によると、

名古屋が受けた空襲は、

1944(昭和19)年12月13日から翌年(昭和20年)までの半年の間に、

56回で、3日に一度の頻度であった。

 

名古屋市が度重なる空襲を受けたのは、

当時、

名古屋には「航空機産業」や「軍需産業(工場)」の重要施設が集中していたから。

 

戦中下名古屋にあったおもな「軍事施設」について調べました。

戦争期、

当時の名古屋では、

企業整備令により、中小の企業が整理統合され、

軍需生産が可能な設備や人員はそれに転用されていた。

例)

日本毛織の工場は「三菱の航空機工場」、

名古屋製陶所は「名古屋陸軍造幣廠千種製造所」

に。

その結果、

名古屋は日本の戦闘機および戦闘機エンジンの生産を担う重工業地帯になっていた。

 👅

戦中下、名古屋は、アメリカは日本本土の第一目標に挙げられた。

 

(付記)

☟文献です

 

(日めくりより)

今日(27日)の言葉

『雨の夜にも星』 

 👅 

雨の降る夜には星が見えないのが普通であるが、まれに雲の切れ目より星が見えることがあることから。

普通には有り得ないと思われることが、まれにはあるということのたとえ。

  👅

あるはずがないと思われていた事でも稀にはあるのだという事。

 

(21,885歩)