(現)東区大幸辺り
(旧)西春日井郡大幸村:町名の由来について
調べました。
大幸(だいこう)は、
名古屋市東区の地名(現)大幸一~四丁目
大幸町
大幸南一~四丁目
↓名古屋市東区大幸の地図
↓新旧地図
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沿革等
江戸期以前…春日井郡大幸村
1889年(明治22年)10月 - 合併に伴い、西春日井郡六郷村大字大幸となる。
1921年(大正10年)8月- 合併に伴い、名古屋市東区大幸町となる。
1935年(昭和10年) - 現在の大幸南一丁目にあたる一帯に三菱重工業の工場が設置され、
以降農村からの脱却が進むこととなる。
1944年(昭和19年) - 軍需産業の発達に伴い航空機製造の一大拠点となっていた一帯が、
名古屋大空襲により壊滅する。
1984年(昭和59年)1月-一部が大幸南一丁目に編入される。
1987年(昭和62年)11月- 大幸町を廃止し、大幸一丁目から同四丁目を編成。
同時に住居表示を実施する。
また、大幸一丁目から同三丁目には矢田町の一部を編入している。
町名の由来について
↓左の書物「名古屋の地名」より41ページをスキャン
↓東区史88ページよりスキャン
↓ひがし見聞録186ページよりスキャン
↓東区アラカルトより引用
大幸町 (daikoh) | ||
この地はむかし西春日井郡六郷村のうち、その隣村は上野村で、むかしは狩津村と呼ばれていた名の通り、鳥獣が多く住み、狩に適したところのようであった。 そこで隣の山の幸が豊富という意味で大幸(おおさち)と呼んでいたのを、戦国時代以後「だいこう」と音読みするようになり、それが町名となったといわれる。 |
(日めくりより)
今日(20日)の言葉
『暑さ寒さも彼岸まで』
👅 👅
「冬の寒さ(余寒)は春分頃(3月20日前後)まで、
夏の暑さ(残暑)は修文(90月20日前後)頃までには和らぎ、凌ぎやすくなる」という意味の、日本の慣用句。
(21,036歩)