大秋八幡社:大秋城…中村区大秋町2丁目81 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、

早朝散歩で

中村区大門辺りを散策中、

『八幡社(大秋):大秋城』に出会いデジカメ。

↓場所

 

八幡社(大秋)について

↓ネットより引用

所在地 名古屋市中村区大秋町2丁目81 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 指定村社・十二等級
祭神 品陀和気命(ほむだわけのみこと)

(注)

品陀別命は応神天皇の神名で、「八幡さん」とも呼ばれる神様。

その他 例祭 10月10日

かつてこのあたりは大脇という地名で、大秋重郎左衛門が大秋城を築いたことから大秋と呼ばれるようになったとの由。

 

↓中村区史跡散策路より引用

古書に、「則武の荘に八幡社三社あり、その中で本社最も古く、今川氏附属の大秋重郎左衛門が此地に住みたる故に附近を大秋という」とあります。

明治の頃まで盛んに行われていた梯子獅子は、「大秋の梯子獅子」として有名でした。境内に近郷の若者達が石を持ち上げて力比べをしたという「力石」があります。

 

↓御由緒記録

👇デジカメ

↓大秋龍神社…拝殿の右にあり

↓摂社の数々…拝殿の左側

「力石」…拝殿のすぐ左側にあり

中村区誌より「大秋の梯子獅子」についてスキャン

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大秋城

大秋城は『尾張徇行記』に記載されているお城です。

天文~弘治年間(1532~1557)に、那古野城主今川氏豊に属した大秋村の住人大秋十郎左衛門一族が住んだ館であるとされている。

信長公記には大脇の城という名前で紹介されている。

立地    平城…築城時は、北・東・南を川に囲まれ西は堀で守られていたお城と云われる

築城時期 室町後期(天文~弘治年間(1532~57))

築城者   大秋十朗左衛門

城主   大秋十朗左衛門

遺構等   城址碑、遺構はなし。
『現況』

一帯は住宅地になっており城址の面影はなし。

大秋八幡社の境内に城址碑があり。

大秋八幡社の境内に城址をしめす由緒記や芭蕉の句碑があり。

↓大秋八幡社の境内にあり

境内のある芭蕉の碑

詠み…城あとや古井の清水まづ訪はん

付記)

『略史』

 築城・廃城は定かではない。

城主の大秋十朗左衛門は、初め大永二年(1522)に今川氏が那古野城に進出した時から今川氏豊に仕えていたが、天文元年(1532)織田信秀が那古野城を奪ったあとも、信秀はこの城には大秋十朗左衛門を居城させていた。


大秋氏については、詳しい資料が残っていないが、今川氏に属した事、そして信長と弟・信勝(信行)が戦った稲生合戦の時、米野城と共に信勝側として信長に敵対している事くらいしかわかっていない。


当時、清洲・那古野の間の道筋には米野・大秋の2城があったといわれている。

 

(特記)

「ほのか小学校」辺りの三社(大秋八幡社、松原八幡社、中島八幡社)

大秋城址…中村区大秋町二丁目の辺りにあったとされる

 

(日めくりより)

今日(12日)の言葉

『相手のない喧嘩はできぬ』  

 👅 

喧嘩を売られても相手になるなという戒め。相手なければ訴訟 (そしょう) なし。

 👅

喧嘩というものは、受けて立つ者がいてこそ成り立つものなのだから、相手にしなければ喧嘩は起きないということ。

 

(2,2250歩)