納屋橋…堀川七橋の一つ | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、

堀川七橋の一つ。

「納屋橋」でデジカメ。

(付記)

この場所に橋がかけられたのは、

碁盤割の南端であることと、

佐屋街道への脇街道である柳街道が橋の西が起点になっていた。

尾張開府の頃の広小路は堀切筋と呼ばれ、南側は田畑が広がり所々に家があるという

碁盤割の端の道であった。

 

「納屋橋」について…略史

笹島に名古屋停車場ができた明治19年に広小路が駅前通りとして西に延長され脚光を浴び、

大正2年青銅鋳鉄の欄干を持つ橋に架けられた。
現在の橋は、

昭和56年に架け替えられたもので、

鉄骨造アーチ形状橋で、高欄、親柱、橋梁灯などに凝り、この通りにふさわしいつくり

となっている。

※大正2年(1913)(昭和56年改築)

名称の由来は、

橋の西側に魚屋(なや)または納屋(倉庫)が多くあり、

そこからつけられた地名の納屋町から採られたという

説と、

橋の南東に尾張藩の米蔵が多くあったことからつけられたとする説の2つがある

納屋橋は1989年(平成元年)に名古屋市の都市景観重要建築物等に指定されている。

 

デジカメ

↓反対側から

👇堀川の開削奉行をつとめた福島正則の家紋の中貫十文字が歩道の半円形の展望部の高欄中央部

に織田信長(木瓜)豊臣秀吉(桐)徳川家康(葵)の三英傑の家紋が高欄に飾られている。

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👇納屋橋について

👇加藤ビル

👇堀川について

👇福島正則公の銅像

👇

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堀川七橋について

堀川は、

名古屋城下と熱田の海を結ぶ運河として徳川家康の命で慶長15年(1610)福島正則に

より開削。

江戸時代には、

七つの橋が架けられ、

五条橋、中橋、伝馬橋、納屋橋、日置橋、古渡橋、尾頭橋は「堀川七橋」と呼ばれる。

(特記)

納屋橋100年と堀川」の歴史

としてブログしました。

こちらも併せて是非ご覧ください。


(日めくりより)

今日(13日)の言葉

『旅は道連れ世は情け』

 👅

旅では道連れのあることが心強く、同じように世を渡るには互いに情けをかけることが大切である。

 👅

旅をするときに道連れがいると心強いように、世の中を渡っていくには人情をもって仲良くやっていくことが大切だということ。

 

(21,474歩)