覚音寺を訪ねる…東区新出来一丁目5-16 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、

東区新出来一丁目5-16にあります

覚音寺を訪ねてデジカメ。

↓場所

覚音寺(名古屋市/神社・寺院・仏閣)の住所・地図|マピオン電話帳

↓山門:本堂

覚音寺について

東区史跡散策路より引用

・真宗大谷派。

・明治期の仏教界にあって「今親鸞」と称された清沢満之は、この寺で得度し勉学しました。

 

東区文化のみち東部編より転用

天文10年(1541年)竹屋町(現:東区赤塚辺り)に創建。

延宝2年(1674年)葉栗郡曽根(一宮市北方町)に移転し、天和2年(1682年)古出来に移る。

この頃は教順寺の恵教の庵室であったが大曾根下屋敷の造営により萱場池の辺に替地を貰い、

宝永2年(1705年)現地に移転し「覚音寺」と称したと言われるが、

「覚音寺」と称し寺となったのは正徳の頃(1711~151年)とも言いわれる。

享保5,6年に(1720年)に本堂を建立。

尾張三代綱誠の側室(二の丸)梅昌院の帰崇を受ける。

 

↓東区文化のみちガイドボランティアの会の冊子より

明治になり、鐘楼や書院を再建。

昭和20年(1945年)の空襲では焼失を免れ本堂と鐘楼はその姿をとどめている。

昭和60年(1985年)区画整理により鐘楼を西に移し山門を再建。

 

☟境内にてデジカメ

↓ひがし見聞録よりスキャン

↓私「洋ちゃん」所有の『尾張名陽図絵』よりスキャン

☟覚音寺の部分の図絵                          ☟詠み

(特記)

覚音寺を訪ねる…東区新出来1-5-16;「今親鸞」と称された「清沢満之」について