三英傑壁画…伏見ライフプラザの南(№1 豊臣秀吉) | 「洋ちゃん」のひとりごと

「洋ちゃん」のひとりごと

 人生いろいろ楽しもう

伏見ライフプラザの南に(公開空地)描かれる、

三英傑壁画をデジカメ…№1 豊臣秀吉

※伏見ライフプラザには、

 私「洋ちゃん」通学中の『鯱城学園』が入っています。

      👇拡大

     

平成7年10月に同ビルの竣 工を記念して描かれた壁画で、

織田信長・豊臣秀吉・徳 川家康

の三英傑と鎧武者や 足軽隊などの堂々とした隊列 の行進が描かれている。

 

デジカメ

(付記)

注)

1552年、

山崎の戦いとは

羽柴秀吉と明智光秀の戦。

明智光秀は秀吉と交戦した後に逃亡、道中、民に槍で突かれてこの世を去る。

 

清洲会議とは

織田信長の後継者を決める会議が秀吉含む織田家家臣たちによって行われる。

この後、織田家は信長の頃の勢いを完全に失い、秀吉の権力が強まっていく。

 

1583年、

賤ヶ岳の戦い 

織田信長の後継をめぐって羽柴秀吉と柴田勝家が戦う。

秀吉が勝利し、柴田勝家は自害する。

これにて秀吉の権力が確固たるものとなっていく。

この年、本拠地を大坂城に移す。

 

1584年、

小牧長久手の戦い 

羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄連合軍の戦。

戦では家康が勝利するが、調略により秀吉は家康を屈服させている。

結果的には秀吉が家康の上をいくこととなった。

 

1598年、

豊臣秀吉、伏見城にて死去。

これにより朝鮮出兵も中断。日本へ兵を撤退させる。