私「洋ちゃん」、高年大学鯱城学園に再入学中。
某クラブに所属。
昨日(6月7日)は活動日。
校外学習先 知立宿、
集合場所 名鉄知立駅 北駅改札口
快晴のなか、
知立宿西方面を中心に学習。
講師は、知立観光協会のボランティアの皆さん
行程
↓私収集の資料をスキャン
デジカメ
↓ 集合➡案内➡駅前にて
↓
↓中町交差点
↓かつて池鯉鮒宿(現:知立市)の時代に最も栄えた地区で今も営業を続ける老舗和菓子店。
↓
↓東海道筋…右は料亭岐阜屋(知立市本町本16)
↓知立古城址:明治天皇御小休所址
↓了通寺
↓(注)立ち寄りませんでした…資料よりスキャン
↓知立神社
👇資料より
☟御朱印を頂く
👇神社境内にて
👇境内にある花菖蒲園にて
↓知立神社を最後に
↓解散後、
今回も私たち2班はランチ会で親交を深めてきました。
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2022年6月12日に追記します。
ネット等より調べました
👇来迎寺一里塚…知立市来迎寺町古城24‐1
↓左塚(南塚)
↓右塚(北塚)
国指定の史跡
来迎寺の集落を通る旧東海道の左右に設けられた一里塚である。
昭和36年(1961)に指定された右塚(北塚)は高さ3.5m、基部の幅10m、奥行9mの規模で、西側がやや崩れているものの一里塚の原形をよく保っている。
塚上には黒松が植えられている。
ただ旧東海道と右塚との間に公民館が建設されており、やや景観が損なわれている。
左塚(南塚)は、塚の半分ほどが崩され原形を失っており、塚上には従軍記念碑や戦死者記念碑があったため、右塚との同時指定はされなかったが、原形復帰に努力する地元の意志に鑑み、平成8年追加指定された。
現在では塚上の石碑等も撤去され、相並んだ双塚の面影を示すようになった。
(追記)
慶長9年,徳川家康によって築かれた道標。
岡崎宿と池鯉鮒宿の間に江戸から数えて84番目の一里塚として設けられたもの。
大きさは、約9m四方、高さ約4mに土を盛り上げ、道の両側に作られている。
現在は、北塚は原形を残しているが、南塚は一部が削られている。
塚上の木は主として榎が植えられたが、来迎寺には松が植えられている。
(参考)
👇豊明市の阿野一里塚
👇東海道松並木
👇馬市の跡-
↓馬市之趾碑と松並木。
この碑が置かれている松並木の側道は、取引される馬を繋ぐために設けられた。
↓馬市の石碑
👇この一帯では、江戸時代には、馬が数百頭も集まる馬市が開かれていた