今朝フォト「熱田造りの家屋」 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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早朝散歩の途中、

東区徳川一丁目(旧町名 前ノ町)で

「熱田造りの家屋」をデジカメ…A.M6時25分頃写す

 

👇「熱田造り」と言われる家屋です。

 私の若い頃は市内各地で多く見かけた建て方ですが、

 近年は取り壊されてあまり見かけなくなりました。

↓正面からデジカメ

 

熱田造りについて(瑞穂ウォーカーの資料より引用)

・熱田神宮のしばしばの造営のさい、中世には、いわゆる「熱田大工」という集団

 が尾張から東三河まで活躍していた。

・この工匠集団の中で、特に近世にまで及んで顕著であるのは、熱田中瀬の岡部家

 である。

・熱田の大工岡部又右衛門は名古屋城普請に中井大和守正清の下で大工頭を努めて

 いた。

・「岡部又右衛門」率いる棟梁達も熱田に住み、各地に出かけて仕事を請け負って

 いた。

・江戸時代、住居の建て方は玄関に破風屋根を載せるのは武家屋敷、宿場では

 脇本陣以上にしか許されないなど格式が守られていた。

 

・大正・昭和の区画整理事業により名古屋市内に多量の住宅が建て始められ、

 熱田の棟梁達(「熱田大工」)の申し合わせがあったのか、すべての家に、

 玄関に三角の破風屋根を載せた造りで、武家屋敷の気分を味わって貰おうという

 心意気があった。

・この造りを神社の尾張造りに対し『熱田造り』と呼ばれた。

 ※特に熱田神宮近辺の区画整理事業の際には多く造られた。

 

☟熱田区白鳥三丁目10-8(旧、熱田区中瀬町)に設置されている

「岡部又右衛門家跡」の名古屋市教育委員会設置の名勝標札。

(付記)

熱田造りの家屋について

熱田造りの家(建物)