床の間に、「ともしらが」の図(瀬尾南海筆の画賛軸)」を掛けました。
賛に書かれている
「御前百までわしや九十九まで ともに白髪のはえるまで」
について調べました…ネットより
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☟共箱です
(上)登毛志良賀(とみしらが)
(下…裏面)昭和丙酉(1956年・昭和31年)春日 南海?
「御前百までわしや九十九まで ともに白髪のはえるまで」の言葉について
(ネットより引用)
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《「お前」は夫を、「わし」は妻をさす》
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夫婦が共に元気で長生きできるようにとの願いを女性の立場から言ったもの。
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夫が百才まで、妻(自分)が九十九才まで仲良く暮らしていきたいということば。
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「夫が百才で妻が九十九才」についての解釈は二通りあり、
①相手に先立たれることによってさびしい思いをしたくないから自分より先に死なないで欲しいという願いを込めたもの。
②一つ年上の妻と結婚した夫の場合、夫が百才、妻が九十九才で夫婦が一緒に最期を迎えられるというもの。
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「お前百までわしゃ九十九まで」の語りは、
世阿弥(ぜあみ)の作品である能『高砂(たかさご)』の台詞の中に登場する。
🔶『高砂』は、夫婦愛と長寿をテーマにした能で、
能舞台では
おじいさんが「熊手」を持ち、
おばあさんが「箒:ほうき」を持つ。
おじいさんのセリフ:
お前は掃くまで(百までのしゃれ)
わしゃ九十九まで(九十熊手のしゃれ)
共に白髪が生えるまで長生きしましょうと言葉を掛けている。
(付記)
私所有の「高砂」を描いた書軸3本
🔶伊勢門水筆「高砂」の図
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↓共箱
🔶水谷芳年筆の「高砂」の画
竹杷を手に松の木陰を掃く…夫婦の長命や繁栄、永遠を寿ぐ。
松の木陰を掃き清める老夫婦(尉と姥)に出会い、松の謂れを聞く。
二人はこの高砂の松は、遠く離れた住吉の松と合わせて「相生の松」と呼ばれ、夫婦の長寿のめでたさを祝福していると言う。
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🔶書画家???、賛は士朗です
詠み???
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