吹上観音(ふきあげかんのん)を訪ねる…千種区吹上1-5-7 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、

千種区吹上1-5-7にあります

吹上観音を訪ねデジカメ。

 

↓赤丸…青矢印の場所

↓吹上観音

 

吹上観音について

↓千種区史跡散策路より引用

石造の千手観音像。

名古屋新田頭小塚家の屋敷に建っていたという。

文政4(1821)年に作られたと刻まれている。

 

↓資料をスキャン

 

デジカメ

↓掲示してありました

 

👇参考

江戸時代に名古屋城ができ、城下町もつくられ、名古屋が栄えはじめた。
万治年間(1658~1661年)から尾張藩士兼松源蔵と浪人小塚源兵衛が、

昭和区から瑞穂区にかけての荒れ地を開墾し、田畑にした。名古屋新田である。

 

慶長15年(1610)に、

名古屋城が築城されると、上町(うわまち)辺りに居た農民たちは、

四方に散在し、

東の方は東畑といって上野村、古井村、丸山村,川名村、本願寺村、御器所村、前津小林村などと数戸ずつ散在。

※水利に恵まれず原野のまま放置されていた。

東畑あたりを『名古屋新田(那古野新田)』と云われている。

名古屋新田の庄屋は兼松家、小塚家が交互に勤めた。

(付記)

兼松家は「池の内東」で「字高見」に属する地に」屋敷を設け、

小塚家は「吹上八幡社の南」に設けた。

↓名古屋新田