先日、早朝散歩で
堀川にかかる七橋の一つ
「中橋」及び近くにある「四間道」の看板をデジカメしてきました…。
中橋について
堀川がつくられた頃に架けられた橋で「堀川七橋」のひとつ。
五条橋と伝馬橋の中間にあるので「中橋」と呼ばれる。
江戸時代、堀川の中で一番経済活動が活発だった地域と言われている。
西側には川伊藤家や青木家をはじめ豪商たちが、美濃街道沿いにお屋敷を構えていた。
東側は木曽剤などを取り扱う木商や、薪・竹などを扱う商品が軒を連ね、
西と東、両岸の商業活動が便利になるような橋だったとも言える。
堀川に架かる架橋で当時の姿 を留めている一番古い橋で、
1917(大正6)年9月にできる。
↓ネット(名古屋市・暮らしの情報)より引用
名古屋市認定地域建造物資産「中橋」について
認定年月日…平成23年10月17日
所在地…名古屋市中区丸の内一丁目(左岸)
名古屋市西区那古野一丁目、中村区那古野一丁目(右岸)
年代…大正6年(1917)
構造等…3径間単純H桁橋
特徴
・堀川七橋の一つ。
・華奢な鋼製橋脚と石積橋台は、大正期の構造が残っている。
・橋脚の柱は、溝形鋼を小材片とリベットで縫い合わされた形式で、
古い鉄道施設では珍しくないが、川で使われている事は珍しい。
デジカメ
中橋
↓中橋…西から東に向かってデジカメ
↓中橋の橋上から
(上)北方面(五条橋):(下)南方面(桜橋…桜通りに架かる)
↓中橋、西北橋に設置の案内板
(下)は拡大
↓尾張名陽図会より
四間道の看板
(注)浅間神社については
(付記)
堀川七橋について
堀川は、
名古屋城下と熱田の海を結ぶ運河として徳川家康の命で慶長15年(1610)、福島正則により開削。
江戸時代には、
七つの橋が架けられ、五条橋、中橋、伝馬橋、納屋橋、日置橋、古渡橋、尾頭橋は「堀川七橋」と呼ばれる。
堀川七橋界隈は、
北は名古屋城、南は金山にかけて堀川掘削後物流の場として、城下の人々の暮らしを支え豊かにし、名古屋の礎を築き発展させてきた。
現在も、
江戸時代に架けられた七橋をはじめ、堀川の歴史・文化を伝える貴重な建造物、四間道地区の古いまちなみ、寺社や材木を扱う材木商などが今なお堀川沿いの景観を彩っている。
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(特記)