南画家 久野柳荘を鑑賞…知多市歴史民俗博物館にて | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、

知多市歴史民俗博物館にて開催中の、

収蔵品展 郷土の南画家 久野柳荘

を鑑賞してきました。

 

 

☟知多市歴史民俗博物館

 

久野柳荘について…作品一覧からスキャン

 

私「洋ちゃん」、上記記載の山本石荘筆の作品2本を所有しています。

※久野柳荘の作品は有してはいません。

南画の画風は私好みで、美術館等で多くの作品を鑑賞しています。

今回も南画家、久野柳荘筆の展示作品16点をじっくり堪能しながら楽しむ…。

(特記)

私、所有の山本石荘の作品について

山本石荘画伯の「雪景山水図」

四君子の図(山本石荘・丹羽花南の筆)

 

(付記 1)

南画について

中国の元・明の絵画に影響を受け日本で18世紀半ば(江戸時代後期)におこった一つの画派をいう。

中国絵画のひとつ、南宗画(なんしゅうが)に由来し、その略語とされる。


南宗画とは明時代に生まれた言葉で中国・江南地方の平坦な地形と温暖な気候風土のもとに生まれた山水画をいう。

 

これに対し、北宗画(ほくしゅうが)というものがあり、これは中国・華北地方の険しい山岳や岩山を硬い輪郭線で描いた峻厳な山水画を指している。

 

日本の画家たちが主にならったのが南宗画であったため、その略として南画という言葉が生まれたといわれていますが、実際にその言葉が使われ出したのは江戸末期ごろからです。

 

南画を文人画と呼ぶこともあが、全く同じ意味ではない。
文人画とはもともと中国で「文人」の描いた絵画を指している。

文人は、唐代に科挙の制度の確立とともに生まれた士大夫という官僚、知識人を指し、宋代に入り支配階級となった人々をいい、儒教的思想を背景に高い教養をもち、知的修練のひとつとして絵画制作を行いました。

彼ら文人が描いた絵を文人画と呼ぶ。

 

(付記 2)

☟知多市歴史民俗博物館館内にてデジカメ

尾張万歳は、知多市に伝わる伝統芸能である。

1996年12月20日(H 8.12.20)に国の重要無形民俗文化財に指定された。

継承地名より知多万歳とも呼ばれる。

.尾張万歳の由来
尾張万歳の由来には諸説ありますが、一説では700年以上前の鎌倉時代、名古屋市東区にあり。

長母寺の無住国師が寺で掃除などをしていた男に、法華経の内容に節をつけ教え授けたのが発祥とされている。
その後、寺領の知多に伝わり、現在では知多市の保存会で継承されている。