朝夕しのぎやすくなってまいりました。
早朝散歩から帰宅後、
床の間の書軸を
明治後期~大正期頃の書家で、御歌所奇人を努められた
阪 正臣筆:画賛「おみなへし」の歌
を掛けました。
(注)
以前にも紹介させて頂いた作品です。
詠み方(私の詠みです。誤読かも?)
ことくさは ねたしと思はむ おみなへし なまめく中に たてるをはなを
正臣謹書
ことくさ(言草)…①いつも話す事柄。いつもの決まり文句。口癖。
おみなえし(女郎花)
なまめく…若々しくて美しい。
みずみずしくて美しい。清らかである。
(付記)
秋の七草は、
「萩(はぎ)、尾花(おばな)、葛(くず)、撫子(なでしこ)、女郎花(おみえなし)、
藤袴(ふじばかま)、桔梗(ききょう)」の7種類。
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☟図の部分拡大
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オミナエシ(女郎花)
…漢字で「女郎花」と 書くようになったのは、平安時代のなかば頃からと言われている。
…花言葉は、「優しさ」「親切」「美人」。
「おみな」は「女」の意、 「えし」は古語の「へし(圧)」で、美女を圧倒する美しさから名づけられた。
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阪(坂)正臣について
(特記)
名古屋市博物館にて
常設展 特別企画 テーマ10 近世尾張の文化
阪 正臣展
会期:令和2年8月26日(水曜)から10月25日(日曜)
開催されています。
☟名古屋市博物館のネット内容より
・阪正臣(号:茅田ぼうでん・樅屋もみのや1855~1931)は、名古屋出身の歌人・書家。
・幼い頃より和歌や書に親しみ、神職や華族女学校の教員を勤めるかたわら才能を認められ、
宮内庁内で和歌に関する事務を扱う部署、御歌所(おうたどころ)に入所。
・以降、歌人として和歌の教育普及に携わりながら、書家としても活動。
・特に書家としての活躍は目覚ましく、軽やかで品格がある書風は一世を風靡。
・女子の書写教育にも力を注いでおり、教科書の執筆も数多く手掛けている。
・これらの活躍からやがて、明治天皇の子女に和歌や書を指南するようになり、
ついには貞明皇后(大正天皇后)、香淳皇后(昭和天皇后)の書の指南役に任じられる。
・大正8年(1919)には『明治天皇御集』の浄書を手掛け、当時の書家として最高の栄誉を得る。
・自詠歌に絵を付したり、和歌関連の出版物の挿絵を手掛けるなど、絵をたしなむ一面もあった。