先日(29日)中区大須4-11-20にあります
「大直禰子神社」(おおただねこじんじゃ)を訪ねる。
↓場所
大直禰子神社について…ネットより引用
創建年 | 不明 |
旧社格・等級等 | 無格社・十五等級 |
祭神 | 大直禰子命(おおただねこのみこと) |
・江戸時代までは「おからねこ」と呼ばれる猫の神社だった。
・明治の終わりに猫の神社じゃない、
おからねこは言い間違いで、本当は大直禰子(おおただねこ)を祀る由緒正しい神社とされて
大直禰子神社となった。
・社伝によると、祭神は奈良の三輪にある大神神社に祀られている大直禰子命と記されている。
↓大直禰子神社の由来と「この神社は猫を祀った神社ではない」ということわり書きが記された立札
⇒ネットより引用
デジカメ
(特記)
↓中区丸田町交差点南西角にある「(江戸時代設置の)道標」
丸田町角道標
・「東 天道 八事 みち」
・「南 さん王 すみよし あつた 道」
・「西 矢場地蔵 おからねこ 道」
・「北 法花寺町 大曽根 道」
☟拡大
(道標に記載の)「おからねこ」について…ネットより引用
『前津旧事誌』や『堀川端ものがたりの散歩みち』の「大直禰子神社」(おおただねこじんじゃ)の項目に
その由来や俗説などが書かかれています。
これらによると、
(A)鏡御堂というお堂に御神体がなく三宝の上に狛犬(高麗犬)の頭が載せてあったためにお唐犬と呼ばれていたのが後に転じて「お唐猫」と呼ばれるようになったとする説、
(B)傍らにあった大榎の根の部分が空洞だったために「お空根子」と呼ばれたとする説、
(C)「大直禰子」が訛ったものとする明治末頃に唱えられた説があります。
『前津旧事誌』によると氏子その他で(C)に賛同する者が多かったため明治42年4月に「大直禰子神社」の名に改めて春日神社の末社として奉斎することとなったそうです。
また、『堀川端ものがたりの散歩みち』には石橋庵真酔の「作物志」(『名古屋叢書 第16』所収)の異獣の項に「おからねこ」の姿形について具体的に記されていることが紹介されています。
(追記)
中区丸田町交差点南西角にある「(江戸時代設置の)道標」をデジカメ
↓2021年4月11日付け中日新聞の記事をスキャン
↓名古屋市史 社寺編289ページよりスキャン
↓尾張名陽図絵 全巻 363ページをスキャン