市電が走っていた頃の矢田南/昭和40年代の風景の案内板 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(19日)、早朝散歩の途中に

名城大学・ナゴヤドーム前キャンパスで見つけた案内板をデジカメ。

です。

☟案内板に記載

 

私「洋ちゃん」、

市電が走っていた、この場所、矢田町十丁目(現、矢田五丁目)辺りの様子、鮮明に覚えています。

注)下に拡大した市電の様子参照。

(付記)

昭和47年当時(私、27歳)は瀬戸市内の事務所に勤務…

マイカーでここの交差点を通過し瀬戸街道を経由して通勤していました。

    

☟案内板

↓拡大

↓上記地図拡大

↓赤矢印の場所にありました

 

(参考)

矢田町 (yada)
    むかしは春日井郡山田庄矢田村(寛文覚書)といっていたが、この矢田村がそのまま町名となった。
江戸時代はこの付近はほとんど農家であって、水野街道(瀬戸街道)の通りにあたっていたので、小商いをする家が数軒あったといわれている。