「多奈波太神社」…北区金城4-13-16(北区名勝標札 №11) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、北区内にある

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています。

その一環で、

 

先日(19日)に、

「多奈波太神社」を訪ね名勝標札をデジカメ

設置場所 北区金城四丁目13番16号

名古屋市教育委員会設置名勝標札…№11

「多奈波太神社」について

↓ ネットより引用

創建年 不明
旧社格・等級等 村社・七等級
祭神 天之多奈波太姫命(あめのたなばたひめのみこと)
應神天皇(おうじんてんのう)
大山津見神(おおやまつみのかみ)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
大己貴命(おほなむちのみこと)

・戦国時代に織田信長による焼き討ちで社殿とともに伝書などを焼失したと伝わり、

 創建年代は不明だが、延喜式神名帳に山田郡 多奈波太神社と記された。

・名古屋城築城の際、替地によって現在地に遷座したとも伝わる。

・江戸時代には名古屋東照宮の管理下に置かれ、

 寛永年間には尾張藩により新たに社殿が建てられた。

・旧暦七月七日の例祭には藩主が訪れ、一般民衆にも垣内参詣が許されたという。

 

・明治時代になって近代社格制度が実施されると八幡社として村社となり、

 大正11年(1922年)には指定村社となった。

・第二次世界大戦の際には神社の敷地に高射砲陣地が置かれ、

 「七夕の森」と呼ばれた鎮守の森の多くが切り払われた。

・名古屋城天守閣が失われた昭和20年(1945年)5月14日の名古屋大空襲で社殿を焼失。

・現在の社殿は昭和39年(1964年)に再建された。

 

↓北区史跡散策路より引用

・主祭神は天之棚機姫命で、古書にも「例祭7月7日の夕は燈を掲げて諸人参詣す」とあり、

・大正頃までは七夕の短冊飾りも盛大で、技芸上達の祈願で雑踏した。

・藩政時代は、東照宮の管轄で一般人は柵外よりの参詣で例祭日だけ垣内参拝を許された。

 

デジカメ

☟手水舎                                              ↓掲示板

↓社殿(拝殿・本殿)

↓社殿の右側にて

↓「乳イチョウ」の木

↓ 付記 

庄内川の向こう岸、西区には星神社がある。

星神社と多奈波太神社とが庄内川を隔てて建っている。

☟民話へ

 

↓下の文献をスキャン

 

※ 神社は「式内社」。

 式内社は、延喜式が成立した10世紀初頭には朝廷から官社として認識されていた神社をいう。

↓北区史より

 

(追記)