綿神社…北区元志賀町2-52(北区名勝標札 №12):東隣り「霊源寺」があり | 「洋ちゃん」のひとりごと

「洋ちゃん」のひとりごと

 人生いろいろ楽しもう

私「洋ちゃん」、北区内にある

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています。

その一環で、

 

先日(5日)に、

「綿神社」を訪ね名勝標札をデジカメ

設置場所 北区元志賀町2丁目53-1

名古屋市教育委員会設置名勝標札…№12

「綿神社」について

↓ ネットより引用

創建年 不明(弥生時代とも)
旧社格・等級等 郷社・六等級・式内社
祭神 玉依比売命(たまよりひめ)
應神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)

弥生時代前期、

北九州筑前国(福岡県)の志賀島を本拠とする阿曇族(あずみ/安曇族)の人々が、

海を渡って日本各地に散らばり、その一部がこの地にもやってきて故郷で祀っていた

海神・綿津見(ワタツミ)を祀ったのが綿神社の始まりとされる。

 

江戸時代まで八幡社と称していた。

それを綿神社にしたのは、1801年に西志賀貝塚が発見されたからとの事。

 

↓北区史跡散策路より引用

起源は、弥生人渡来の時といわれ、

延喜式神名帳にも「九州志賀の海(わた)神社と同例なり」と記され、志賀の地名もこれに由来する。

織田信長から槍先、平手政秀から信長改心祈願の手彫りの狛犬一対が奉納されている。

 

デジカメ

↓由緒書き拡大

↓参道から社殿へ

 社殿は昭和20年5月14日の空襲いよって全焼したが、

 明治百年の記念事業として、昭和45年10月10日に再建された。

↓社殿の右側にあり(摂社?)

↓尾張名所図会より

 

※ 綿神社は「式内社」。

 式内社は、延喜式が成立した10世紀初頭には朝廷から官社として認識されていた神社をいう。

↓北区史より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(特記)

綿神社の東隣り「霊源寺」があり…関係???

北区元志賀町2丁目127

綿神社(左)と霊源寺(右)の参道

 

霊源寺について…ネットより

曹渓山霊源寺は曹洞宗の古い歴史のある寺。

元は千種区古井の光正院の末寺で、

始め万亀山大福寺と称していたが宝暦十年(1760年)今の寺号に改められる。

 

昭和二十年五月十四日の戦火により本堂も、山門もすべて焼失。

唯一、戦火をまぬがれたのが山門前に立つ「不許葷酒入山門」の碑。

↓左側の森は「綿神社」の境内

↓資料をスキャン

 

(追記)