私「洋ちゃん」、北区内にある
名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています。
その一環で、
先日(5日)に、
「綿神社」を訪ね名勝標札をデジカメ。
設置場所 北区元志賀町2丁目53-1
↓名古屋市教育委員会設置名勝標札…№12
「綿神社」について
↓ ネットより引用
創建年 | 不明(弥生時代とも) |
旧社格・等級等 | 郷社・六等級・式内社 |
祭神 | 玉依比売命(たまよりひめ) 應神天皇(おうじんてんのう) 神功皇后(じんぐうこうごう) |
弥生時代前期、
北九州筑前国(福岡県)の志賀島を本拠とする阿曇族(あずみ/安曇族)の人々が、
海を渡って日本各地に散らばり、その一部がこの地にもやってきて故郷で祀っていた
海神・綿津見(ワタツミ)を祀ったのが綿神社の始まりとされる。
江戸時代まで八幡社と称していた。
それを綿神社にしたのは、1801年に西志賀貝塚が発見されたからとの事。
↓北区史跡散策路より引用
起源は、弥生人渡来の時といわれ、
延喜式神名帳にも「九州志賀の海(わた)神社と同例なり」と記され、志賀の地名もこれに由来する。
織田信長から槍先、平手政秀から信長改心祈願の手彫りの狛犬一対が奉納されている。
デジカメ
↓由緒書き拡大
↓参道から社殿へ
社殿は昭和20年5月14日の空襲いよって全焼したが、
明治百年の記念事業として、昭和45年10月10日に再建された。
↓社殿の右側にあり(摂社?)
↓尾張名所図会より
※ 綿神社は「式内社」。
式内社は、延喜式が成立した10世紀初頭には朝廷から官社として認識されていた神社をいう。
↓北区史より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(特記)
綿神社の東隣り「霊源寺」があり…関係???
北区元志賀町2丁目127
霊源寺について…ネットより
曹渓山霊源寺は曹洞宗の古い歴史のある寺。
元は千種区古井の光正院の末寺で、
始め万亀山大福寺と称していたが宝暦十年(1760年)今の寺号に改められる。
昭和二十年五月十四日の戦火により本堂も、山門もすべて焼失。
唯一、戦火をまぬがれたのが山門前に立つ「不許葷酒入山門」の碑。
↓左側の森は「綿神社」の境内
↓資料をスキャン
(追記)