福田兼助碑(智興寺)…中村区上米野町5丁目6番地 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(3月19日)中村区上米野町5丁目6番地にあります

福田兼助碑(智興寺)を訪ねました。

  

中村区役所のホームページ「中村区の魅力」で紹介あり、

私洋ちゃん、ホームページで知り訪ねた場所です。

 

↓ホームページより引用

・中村区史跡散策路に記載あり、

 笈瀬川筋散策コースの中の一つ「福田兼助(ふくだかねすけ)碑」は智興寺の正面にあります。
・福田兼助は、

 名古屋西地区近代教育の祖といわれ、

  1830年米野村の農家に生まれましたが学問を好み、

   徳川時代末期に村の子どもたちの教育に尽くす。

 明治になり学制が発布されると、望まれて村校の教師になる。

 この碑は、門人・知人・友人たちが敬愛の念を表すため、明治34年に建てた。

 

↓ネットより…名古屋市立米野小学校学校の窓より

明治の始め、江戸時代から始まった私設の教育機関「寺子屋」が、米野 の地域にもありました。

明治5年になると、だれでも教育が受けられるよ うに、「学制」という制度がひかれました。

それを受けて、翌年の明治6年 1月28日、福田兼助先生の寺子屋が「上米野義校」、

大矢九兵衛先生の寺子屋が「下米野 義校」という名前になりました。

これが、現在の米野小学校の始ま りです。

学校ができた頃は時計がないので、線香で時間を計って勉 強していたそうです。

明治6年というと西郷隆盛や板垣退助などが 活躍していた時代です。 

 

デジカメ

↓智興寺…下は本堂

 

(25,456歩)