「後藤新平宅跡」の名勝標札…中区大須1丁目4(№52) | 「洋ちゃん」のひとりごと

「洋ちゃん」のひとりごと

 人生いろいろ楽しもう

私「洋ちゃん」、中区内にある

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています。

その一環で、

 

先日(11日)

「後藤新平宅跡」名勝標札をデジカメ

設置場所 中区大須1丁目4

 

↓ 名勝標札

↓標札の下に石碑あり                       ☟石碑を拡大

 

後藤 新平について

後藤新平の肖像 その1

[生]安静4 (1857).6.4.岩手県水沢 
[没]1929.4.13. 京都
政治家。帰農した伊達藩士の子。当初医師。

児玉源太郎のもとで台湾経営に顕著な働きをみせた。↓

のち,1906年南満州鉄道初代総裁。

1908年逓信大臣兼鉄道院総裁,拓殖局副総裁,1918年外務大臣,1920~23年東京市長などを歴任。

 

🔶明治の元勲、後藤新平の青春時代は、

 洲崎神社の近隣に住み、天王崎橋南東にあった愛知医学校の若き校長として19歳から6年間を

 大須にて過ごす。

↓下の文献よりスキャン

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

↓栄1-19堀川沿いの記念碑

名古屋大学の源流

 2007年10月名古屋大学創立70周年記念事業で建てられる。

後藤新平について記載あり

↓拡大

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

↓中区栄一丁目20-31に建つ「愛知医学校跡」

 と書かれた名古屋市教育委員会設置の名勝標札

「仮医学校跡」と「愛知医学校跡」の名勝標札…中区1-20-31(№21・22)

 

………………………………………………………………………………………………

(追記)

2024年3月12日付け中日新聞朝刊よりスキャン

………………………………………………………………………………………………

(追記)

2024年5月23日付け中日新聞朝刊よりスキャン