「芝居濫觴(らんしょう)跡(橘座跡)」の名勝標札…中区橘2丁目6-15(№34) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、中区内にある

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています。

その一環で、

 

先日(1日)

「芝居濫觴(らんしょう)跡(橘座跡)」名勝標札をデジカメ

設置場所 名古屋市中区橘2丁目6-15

 

※濫觴(らんしょう)とは…物事の起こり。始まり。起源。

 

芝居濫觴(らんしょう)跡(橘座跡)について…ネットより引用

・橘町は名古屋の芝居公許地として最も古く、

 寛文5年(1665)から、春秋二回芝居興行が認められていました。

・東西の名優が競って来演し、大変栄えたようです。

・その後中絶と再興を繰り返しますが、

 明治24年(1891)濃尾地震によって橘座は倒壊し、ついに途絶えてしまいました。

・現在では、説明看板だけが立っています。

・江戸時代には「橘町裏芝居」、

 明治に入ってからは「古袖町芝居」「中村座」「橘座」などと称した芝居小屋です。

 

↓ 名勝標札

 

(参考)

尾張名所図会より

 

 

(21,390歩)