「小幡長塚古墳」の名勝標札…守山区小幡四丁目12番52号(守山区名勝標札 №1) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、守山区にある

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています。

その一環で、

 

先日(19日)に、

「小幡長塚古墳」名勝標札をデジカメ

地図

設置場所 守山区小幡四丁目12番52号(喜多山幼稚園の東側一帯)

 

↓名勝標札

 

小幡長塚古墳について

↓守山区史跡散策路より引用

5世紀末築造の二重周濠をもつ全長81mの前方後円墳。

付近に群在した小円墳とあわせて「七ツ塚」とも呼ばれた。

 

↓ネットより引用

・小幡ヶ原周辺に点在する古墳の一つで前方後円墳。

・周辺は明治時代後半から陸軍の小幡ヶ原射撃場として使用され、

 墳丘には演習の際に掘られた塹濠の痕跡が現在も残る。

・かつて墳丘は二重周濠に囲まれていたが、

 戦後の開発において周堤は取り壊され、周濠は全て埋め立てられた。

・現在では墳丘の側まで住宅が密集している。

・なお、墳丘自体は名古屋市の管理する緑地「喜多山公園」として保存。

・名古屋市教育委員会による2005年(平成18年)以降の墳丘・周濠の調査によって、

 須恵器や埴輪の破片が多数見つかっており、

 墳丘や出土品の形態などから6世紀前半に築造されたと考えられている。

・なお、地元住民によれば、

 かつては複数の陪塚があったことからこの周辺は七塚と呼ばれていたともいうが、

 現存せず記録も残されていないため塚の規模や数については不明である。

 

守山区史跡散策路には「5世紀末築造」

          ネットには「6世紀前半に築造」

          とあり。どちらが正しいか???です。

 

 

↓いろいろな角度からデジカメ

 

↓先日(11日)付け中日新聞、県民版に小幡長塚古墳で、

 高さ107㌢家形埴輪出土の記事…下にスキャン

(付記)参考

↓下の書物をスキャン

 

 

 

(20158歩)