那古野神社へ行く…中区丸の内二丁目 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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昨日(16日)、

中区丸の内二丁目にあります

那古野神社に散歩を兼ね行ってきました…A.M.10時頃到着

  

 

那古野神社について…中区史跡散策路より引用

・祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)。

・創建は延喜 11 年(911)。 

・古くは「天王社」、「亀尾天王社」と呼ばれ、

 慶長の名古屋城築城 後は城内の三之丸の一角に鎮座することになったため、城の鎮 守神、

 城下名古屋の氏神とされた。

・明治 9 年、現在地に移り、明 治 32 年「那古野神社」と改称した。

 

(注)昨日(16日)が祭礼の日と知らずに赴きました…帰宅後、ネットを見て祭礼の日と知る

↓参照…ネットより引用

那古野神社の祭礼は現在、7月15・16日におこなわれる。

15日が宵宮。

境内南にある能舞台の西へ、焼失を免れた唯一の車楽を組み立て、多くの提灯で津島の巻藁船の様に半円球状に形造る。

翌16日は朝祭。

車楽の屋形部分は現存しないため、そこに飾られていた2体の能人形を、社殿の前に拵えて飾っている。

そして神輿が若宮八幡社まで渡御し、その日のうちに還御する。これは明治25年(1892) から始まった行事である。

 

🔶赴いた時間帯には、本殿内に多くの方が参列して見えました。

  ➡神輿繰り出し(出発)の準備だったのか???

 

↓ 手水舎

↓ 拝(社)殿の左にありました

↓ 神輿…拝殿の左にある納戸から出る

↓人形…拝殿の向側に置いてあり

↓ 神楽殿(能舞台)…拝殿の前、参道の左

↓ 車楽…神楽殿の右隣りにあり…夜間は右の様子か???、ネットより

↓拝殿の前にあり

(付記)

那古野神社について…詳しく

由緒

江戸時代では、例祭である天王祭は東照宮祭、若宮祭とならんで名古屋三大祭とされた。

創建は醍醐天皇の御代、延喜11年(911年)と伝わる。

津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ、現在の津島神社)を総本社とする天王社のひとつで、当初は亀尾天王社と呼ばれた。

元文元年(1532年)の合戦で社殿を焼失した、天文8年(1540年)織田信秀により再建されている。

文禄4年(1595年)、豊臣秀吉が社領348石を寄進する。

元和6年(1620年)、徳川義直が改めて348石を寄進し社殿を修造。

創建時より若宮八幡社と隣接していたが、慶長15年(1610年)の名古屋城築城の際に、当神社のみ三の丸の郭内に取り込まれ、若宮八幡社は城外に遷座した。

これより、三之丸天王社とも呼ばれ、城の総鎮守、城下町の氏神とされた。

またこの時、新たに三之丸東照宮(現・名古屋東照宮)と隣接している。

明治j維新時に須佐之男神社と改称し、1976年(明治9年)名古屋鎮台が城内に置かれたのを機に、東照宮とともに旧藩校明倫堂跡地である現在地に遷座、1899年(明治32年)に那古野神社と改称した。

1900年(明治33年)には能舞台兼用の神楽殿が建てられて月次能が催されるなどしたという。

神社は1945年(昭和20年)3月19日の名古屋大空襲で本殿などを焼失、戦後再建された。

なお、前述の神楽殿は戦災を免れたが1992年(平成4年)に火災で焼失している。

 

(特記)

2013年7月17日にもタイトル

那古野神社例大祭

としてブログしました。

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