大谷句佛の「達磨画賛」…句佛句集シリーズ№24 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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大谷句佛(東本願寺23世)は、

明治~大正~昭和時代(戦前)にかけての著名な浄土真宗の僧で俳人です。

 

私「洋ちゃん」、所有する大谷句佛様の作品を、

「句佛句集シリーズ」として紹介させて頂いています。


句佛句集シリーズ№24


今回は、「達磨画賛」(共箱)を紹介させて頂きます。

詠み

十萬里程来一茎
蘆上

🔶十萬里程…十万里のみちのりを

 一茎蘆上…一茎の蘆上(ロジョウ)一本の芦の茎に乗って。

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 ↓ 達磨図の部分拡大

 ↓ 共箱です

 

大谷句佛(東本願寺23世様について

・浄土真宗の僧・俳人。

東本願寺世。京都生。  

・二十二世光瑩(現如上人)の次男。  

・諱は光演、彰如上人、句仏は俳号

・幼年から諸流の書道を学び杉山三郊に師事する

・絵画は幸野楳嶺・竹内栖鳳について一家を成し、

 俳句は河東碧梧桐につく。著書も多い。

昭和18年(1943)寂、68才。

 

 

(追記)…ネットより引用

十萬里程一茎
蘆上去身軽梁王對面不
相識千古長江有恨聲
録清拙禅師詩
 【書き直し】
十萬里程来竟重
一茎蘆上去身軽
梁王對面不相識
千古長江有恨聲

(平庚韻、軽・聲)
 【解説】
達磨は、6世紀の初め西域(さいいき)より中国に渡来した。起句はそれを言う。「十万里程」十万里のみちのりを「来竟重」来(きた)り竟(つひ)に重んぜらる(やって来て、なんと意外にも重んじられた)。

 

しかし、彼は「一茎蘆上」一茎の蘆上(ロジョウ)一本の芦の茎に乗って、「去身軽」去つて身軽し。

 

 絵で有名な蘆葉達磨」である。達磨は、梁の武帝との問答の後、理解されないと見限って、揚子江を渡って魏の洛陽に入った。このとき一枚の芦の葉に乗って渡江したという。

 

芦葉達磨(ろようだるま)について

菩提達磨(単に達磨とも)は、インドから中国に来て梁の武帝に法を説き、さらに洛陽を目ざし揚子江をのぼったが、
その時、
一葉の蘆の葉に乗って渡ったとの伝説を示す語「蘆の葉に法の方便」ともいう。
明治の女流作家樋口一葉の一葉の号は、この伝説から採ったもの。


 

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