先日(25日)、
名鉄・須ヶ口駅
から
「美濃街道」筋の
二ツ杁駅まで散策しながら史跡を巡ってきました。
実は、
5月中旬に、私「洋ちゃん」所属している某区の史跡案内の会での皆さんの希望により、この辺りの史跡巡りを計画しました。
私が、今回、幹事を担当することになり下調べを兼ねながら赴く…。
(付記) …ネットより
「須ヶ口」とは清州の入り口という意味であったとの由。
須ヶ口村という集落も存在していたが、明治33年に新川町に合併され、その後に現在の清須市に吸収された。
↓須佐之男社…清須市須ヶ口2110
慶長12年(1607)この付近に住んだ「織田家の家臣が住民と共に津島神社から勧請して創建し、津島神社とも呼ばれていた。
境内にはイチョウの大木があり、美濃路の古い町並みにマッチしている。
↓ 境内にて
↓ 新川開削本陣跡の案内板…上記地図の赤●
美濃路、新川橋西交差点(ufj銀行)美濃路を西に少し進んだ右手にあり。
現在の銀行のある付近が新川開削の際の拠点になったとの由
↓ 新川橋橋詰ポケットパーク
「美濃路の歴史」、「新川開削」、「東海豪雨による新川の決壊」についての掲示板と石碑が設置。
公園の入り口には津島街道の道標があり,1つは清洲五条橋の親柱を道標としたもので,もとは土師野(どきの)神明社にあり,新川橋の親柱2つも横に建てられている。
(21,714歩)