先日(13日)
中区正木四丁目5番14号にあります
元興寺址を訪ねデジカメ。
元興寺址について
(名古屋市教育委員会発行 文化財叢書第九十二号 なごやの街道(二)より引用)
新尾頭の道標のある地点の北側一帯は平安時代に、奈良元興寺にいた道場法師が建てたという伝承のある元興寺のあったところである。
元興寺は稲沢の尾張国分寺が水害を受けた時ににその代わりを務めたこともある名刹であった。
この一帯での数度に及ぶ発掘調査でも伽藍配置は不明であるが、瓦片等は大量に出土し、奈良時代のものである。
また、薄く良質の多嘴(くちばし)壷のような特殊な遺物も発見されている。
(注)
現在、元興寺跡周辺に建てられている『元興寺』は享保三年(1718)に、海東郡葉刈村美和町の長谷寺が移転し、知恩院の末寺・国豊山元興寺として建てられたものです。
元興寺です
↓東から西に向ってデジカメ
↓西から東に向ってデジカメ
↓ 本堂
↓ 山門の右、本堂の向え側に鎮座
尾頭薬師 元興寺 おさずけ地蔵
↓ 本堂の左側、山門を入って直ぐ左に鎮座
↓ 西側角にあり
尾頭塚にて…元興寺の裏側にあり
鎌倉時代(13世紀前半頃)荒廃していた元興寺(願興寺)を復興したとされる鎮西八郎為朝の子、尾頭次郎義次を祀った自然石の塚である。
↓ 名古屋市博物館館蔵…元興寺跡で出土
素弁蓮華文軒丸瓦 尾張元興寺出土 館蔵
簾状押引重弧文軒平瓦 尾張元興寺出土 名古屋市教育委員会蔵
忍冬蓮華文軒丸瓦 尾張元興寺出土 名古屋市教育委員会蔵
(19,211歩)