富部神社について
場所:名古屋市南区呼続4-13-38
「蛇毒神社」「戸部天王」とも呼ばれる。
慶長8年(1603)清洲城主松平忠吉が西方にあった祠を現在地に移し、
慶長11年(1606)に本殿、祭文殿、回廊、拝殿を建てたと伝えられている。
本殿は
一間社流造、檜皮葺屋根で、特に正面の蟇股、屋根の懸魚(げぎょ)や桁隠は桃山様式で作られている (国の重要文化財)
境内の山車蔵には、
享保12年(1727)作の「高砂車山車」が保管されている(市指定有形民俗文化財)
神宮寺として天福寺をもち、百石の社領を有していました。
尾張藩主の崇敬も厚かったと伝えられている。
↓ お祓いを頂いてきました。
↓鳥居を入って直ぐ、右側にありました。
「明治天皇御駐蹕(ひつ)遺跡碑」…明治4年明治天皇御休憩の記念碑
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