先日(9月26日)、港区生涯学習センターの講座で
港区本宮町1-22 にあります浄専寺
熱田前新田の干拓功労者津金文左衛門胤臣
を紹介して頂きました。
浄専寺について…港区本宮町1-22
山号 松林山
宗派 真宗大谷派(東本願寺)
甚目寺村新居屋の西光寺より一子を招請して、岩倉村の大地より淨專寺を寺地移転し
当地域の村立の寺院として創建された。
昭和27年5月、中区大須の大光院墓地移転に際し発掘された、津金文左衛門の
分骨を納めている。
山田秋衛作の津金文左衛門氏の肖像画を所蔵。
(付記)
↓ 熱田前新田について
1800年(寛政12年) - 9代尾張藩主徳川宗睦により尾張藩直営事業として熱田前新田
として開発が進められた。
実際には尾張藩熱田奉行の任に就いていた津金文左衛門胤臣を中心に事業が行われたが、
財政難などにより事業は難航したという。
1727-1802 江戸時代中期-後期の尾張名古屋藩士。
(享保12年(1727年)に、現在の東区徳川一丁目(旧平田町)に生まれる)
(彼の活躍した時代は、尾張藩9代藩主・徳川宗睦の時代)
熱田前新田の干拓功労者
勘定奉行をへて熱田奉行兼船奉行。
熱田前新田に入植した加藤景遠・民吉父子に染付磁器の技法を研究させ,
その完成につくした。
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民吉は、九州の磁器の技法を瀬戸に持ち帰り、瀬戸陶磁器を完成させました。