私「洋ちゃん」、
名古屋市教育委員会設置の標札巡りをしています…東区№13
その一環として、
先日(12日)東区芳野二丁目4番28号にあります
片山神社を訪ねる…平成30年7月11日、中日新聞・朝刊「街道を行く」で紹介あり。
何度も、早朝散歩等で参拝に訪ねているお宮さんです。
・片山神社は蔵王大権現ともいわれ、和銅2年(709)創建と伝えられる。
・社叢は鬱蒼とした森で、蔵王の森と呼ばれる。
・神社の東西の坂は、「坊ヶ坂(男坂)」「尼ヶ坂(女坂)」と呼ばれている。
社格等 | 式内社・郷社・七等級 |
祭神 |
主神・蔵王大権現(ざおうだいごんげん) |
↓(ひがし見聞録より)
デジカメ
↓ 本殿
↓ 東側(坊ケ坂寄り)にあり
↓ 右端の石碑
↓ 手水舎…右は井戸
↓ 竹筒で覆う…鳥よけ???
↓ 社務所
↓ 貼り紙…アライグマ・ハクビシン出没???
↓ 本殿
右端より
左端より…赤矢印は伊藤萬藏さんの寄贈石物(摂社の前)
↓ 南側の鳥居→上ると神楽殿???があり
↓ 神社、南側からデジカメ
🔶平成30年7月11日、中日新聞・朝刊「街道を行く」をスキャン🔶
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↓ 以前にブログした内容の一部をコピー
◎片山神社の
社地は名古屋台地端で、
西側の‘尼ケ坂”東側の‘坊ケ坂”を下れば、低地水田の地域であったので、片山の名は、こうした地形に由来するとの事。
◎尾張名陽図会より
上記の『尾張名陽図会』の文章の中に、
境内に芳野(吉野)の種をうつし、花盛りの頃は見事なり、さればこの辺に有る桜、いづれも当社の神木たる(要旨)
と書かれている。
※片山神社に吉野桜が植えられたのは寛文年間(1661~1673)。
◎東区芳野町の町名の由来は、
・片山神社(蔵王権現)は天武天皇の和銅2年(709)の鎮座といわれる古い社である。
・寛 文年間(1661~72)竹腰家の家臣古田弥四郎という侍が、吉野種の桜をもってきてその境内に植えたのが次第に有名となり、廃藩置県の行われた明治4年(1871)花の芳野町が町名となった。
さらに、片山神社の北にある、
北区杉村、上飯田、下飯田の町名も片山神社に由来している。
・昔、片山神社の境内にあった大きな「杉の木」があったが、大木の寿命には勝てず枯れてしまう。
・枯れた枝木を五つの村に分けた。
・東杉村
・中杉村
・西杉村
・上の枝を与えられたのが上枝村
・下の枝を与えられたのが下枝村を上飯田、下飯田と誤って呼ぶようになる
片山神社について
2014年5月28日にタイトル
「東区にある伊藤萬蔵さん寄贈の石造物(№ 7)…片山神社 」
2012年4月24日にタイトル
[片山神社 ]
としてブログしました。
こちらと併せてご覧ください。
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