先日(25日)、
早朝散歩で、
東区平田町(へいでんちょう)交差点付近に赴きデジカメ。
↓ 昭和18年名古屋市街地図より
平田町の町名の由来及び平田院について…ひがしネット等より引用
古くは古井村に属し、平田院があることから平田院町といわれていた。
平田院について
・平田院は天徳山法蔵寺と号し、平岩親吉が三河に建立したが、
慶長9年(1601)親吉が犬山城から名古屋東片端筋に移ったので、
平田院も同18年現在の地に移り、寛文3年(1663)建中寺の末寺となった。
・平岩親吉は徳川家康子飼いの家来で、慶長12年(1602)松平忠吉清洲の城主となる
にさいして、その国政をとり、禄高9万3千石、慶長17年(1612)世を去った。
昭和56年9月に、
代官町・徳川一丁目・筒井一丁目に分割して町名変更され、平田町の名は消える。
◎平田町の名称が現在も残っています。
↓平田町交差点
案内板
★平田院が以前に建っていた場所
🔶手持ちの資料より
(20,094歩)