名古屋市内「懐かしい絵葉書」…№15;覚王山記念塔、(大名古屋)官祭招魂社 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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名古屋市内「懐かしい絵葉書」シリーズ…№15
         

お断り…発行年月は分かりませんが、

大正期~昭和期初期頃の絵葉書???…推測です

 

左)覚王山記念塔       (右)(大名古屋)官祭招魂社

左)覚王山記念塔…略称;征清記念碑 

・正しくは日清戦役第一軍戦死者記念碑という。

・明治27年~28(1894~5)の日清戦争に名古屋の第三師団から出征した将兵726名を悼

 んで設置された砲弾型の碑である。

・計画当初は広小路通りの東端であったが、竣工時には既に道路も電車も千種まで延長さ

 れていた。

・道路中央に取り残された記念碑(奉安塔)は、

 大正9年(1920)12月、東郊の覚王山へ移転した。

↓ 拡大

(付記)

↓ 今月11日、

  名古屋市内「懐かしい絵葉書」シリーズ…№6で紹介した絵葉書です

   ★突き当りに覚王山奉安塔…略称;征清記念碑がかすかに見えます。

 文献よりスキャン
 

 

(右)(大名古屋)官祭招魂社…現)護国神社

・明治元年(1868年)尾張藩主徳川慶勝が、戊辰戦争 で戦死した藩士ら25人の霊を現在の

 名古屋市昭和区川名山に祀り翌明治2年5月「旌忠社」として祠を建てたのに始まる

・1875年(明治8年)に招魂社 となり、1901年(明治34年)には官祭招魂社となった。

・1918年 (大正7年)城北練兵場(現在の名城公園北園内)に、更に1935年(昭和10年)には現在地

 に遷座。

・1939年(昭和14年)に愛知縣護國神社に改称した。

・1935年(昭和10年)遷座時の社殿は1945年(昭和20年)3月19日の空襲で一切を焼失した

・第二次世界大戦後「愛知神社」に改称したが、1955年(昭和30年)に元の社名に復した。

・1958年(昭和33年)に本殿・拝殿等、1982年(昭和57年)に社務所、1998年(平成10年)に神門・

 舞殿・廻廊が再建された。

↓ 拡大1935年(昭和10年)遷座時の社殿

        1945年(昭和20年)3月19日の空襲で一切を焼失。