五台山・尋盛寺及び福壽山・大龍寺を訪ねる…共に千種区城山新町二丁目にあり➡伊藤萬蔵さん寄贈の石造 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、

伊藤萬蔵さん寄贈の石造物巡りを楽しんでいます。

その一環として

 

先日(12月16日)千種区城山新町二丁目にあります、

五台山尋盛寺及び福壽山大龍寺を訪ねました。

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五台山尋盛寺

   千種区城山新町二ー六九にあり
  


 尋盛寺の由緒等について…(名古屋市千種区史跡散策路等より引用)

浄土宗寺院。京都知恩院の末寺。

文禄年中(1592−96)尋盛上人が清洲に創建。

清洲越により名古屋城下に移転、境内は中区白川町五丁目の西側にあった。

寛永十三年(1636)本堂を建立(清洲城の書院を移築という)。

本尊は京都五臺山清涼寺より迎えた阿弥陀如来。

以降鎮守堂・客殿・鐘楼と建立し寺観を整えるが、元文三年(1738)六月隣家より出火し、山門・鐘楼を除いて焼失。

九世弁道の時再建。

昭和17年(1942)皇期二千五百年記念事業(後防空公園)の白川公園予定地となり現在地に。

山門は清洲越以来のものという

境内に印章塚がある。

 

デジカメ

↓ 山門は清洲越し以来のものという

↓ 境内にある案内標札

 ↓ 本堂

 ↓ 本堂の左にあり…何か???


「伊藤萬蔵」さん寄贈の石碑を捜しました。

境内に隅に置かれていました…新築のさいに移動??

    

↓ 傷だらけ➡実にに残念な思いが募る


○花立一対

資料より(右立)(左立)とも同じ彫りは同じ

 右面 大正十年十二月建之

 正面 供花

 左面 名古屋市西區塩町

          伊藤萬蔵




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福壽山大龍寺

  千種区城山新町二ー七一にあり
大龍寺の由緒等について…(名古屋市千種区史跡散策路等より引用)

   大龍寺だいりゅうじ(福壽山ふくじゅさん大龍寺) 境内

・黄檗宗寺院。山城宇治萬福寺の末寺。

・享保10(1725)年春日井郡阿原村の地蔵堂を東区新出来町二丁目北側に移す。

・享保13(1728)年藩主綱誠より寺地を給って造立を開始。

・享保15(1730)年津島天王の牛王山成就坊を引寺。

・享保16(1731)年萬福寺末となり寺号を大龍寺とする。

・安永6(1777)年五百羅漢奉安を発願し、城下の人々に勧下を始める。

・安永7(1778)年には江戸亀井戸村の五百羅漢を模した回遊式の羅漢堂の建立開始

・安永9(1780)年に三百台體成就の開眼供養をした。

・本尊は建中寺の寄付による木造釈迦牟尼仏座像。

・文政元(1818)年より時の鐘始める。

・三大五百羅漢のうち東京大阪は維新後衰退するが当寺はよく保存、中に名工為隆の

 傑作十八羅漢がある、明治の末から当地に移転を開始し、大正7(1918)年に完了した。

・通称「らかんさん」として親しまれている。

・建築様式は一見城郭のような唐様南蛮風のデザインになっている。

 

「伊藤萬蔵」さん寄贈の石碑


上記、尋盛寺の山門の少し南に大龍寺北入口があり…閉門
※本堂に赴かず「伊東萬蔵」さん寄贈の石碑のみデジカメ

○標石一対

 標石(右) 

  右面 大正三年六月建之

  正面 福壽山大龍寺

  左面 名古屋市西區塩町

       伊藤萬蔵

 

 標石(左) 

  右面 名古屋市西區塩町

       伊藤萬蔵

  正面 五百羅漢奉安靈地

  左面 大正三年六月建之

★設置場所 本堂裏北入口

🔶右面

🔶左面


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↓正面から


 ↓ 本堂の手前に鎮座
 ↓ 西側出入り口